[本文引用]
日本はストレス社会と言われて久しい。
私の場合は、新興国で活動が多いので、そういう経験からも日本はストレス社会だと痛感する。
少し大げさに言えば、日本国内でいるだけでストレスを感じる。特に都会での生活やビジネス活動はストレスの塊だといったら言い過ぎだろうか?
新興国に行ったことがある人なら、大抵共通の認識があると思うが、日本で感じているストレスが知らない間に消えていることに気が付く。
もちろん、新興国の今の生活そのものや環境がストレスになる人はいる。
例えば、ベトナムでも初めて訪れた人の印象はマチマチで、総じて私と同世代以上の人にとっては、自分たちの子供のころを思い出して、懐かしさやノスタルジーが優先して、どこか心が安らぐ。一方、同世代でも都会育ちや今の若い人の大半は、今の日本の都会生活に慣れている人は、日本にはないストレスを感じる。
不便、不衛生、混沌としている様もストレス要因になる。また、サービスレベルのギャップもストレスの原因としては大きな要素だ。つまり、日本と比べて新興国のどこもサービスレベルが低い。日本のようにお客様は神様です(ちょっと古いかも)とか顧客満足度を向上する意識と言うか、そういうビジネスレベルに到達していない国がほとんどで、新興国の経験の浅い日本人にはストレスになる。
しかるに、ストレスというのは相対的な環境のギヤップから生じるように思う。
新興国は私にとってはストレスが低減される場所であるが、反対に新興国がストレスを増長する人もいる。
私も会社の経営という仕事をしていると、近藤さんはストレスはどう解消するのですか?と聞かれることが時々ある。
一般的に社長業はストレスが溜まる仕事の一つだから、ストレスありますか?と聞く人は皆無で、かつ、私が見るからに頑丈そうなので(笑)何か特別な秘訣があると思われているかもしれないが・・・。
社長業はストレスかもしれないが、自分でしたいことを決めれる職業の一つなので、そういう選択の結果として新興国が私にとってはストレスレスの環境に身を置く時間となっていて、私自身は、バランスが取れているように思う。
新興国と日本の違いにおけるストレスの感じ方をもう少し、説明する。
新興国のどこに行っても、現地の生活者から感じるのは“生きる力”である。ベトナムのバイクの渋滞の様子だけでもそれを感じる。特にスコールの時は凄まじい。果たして今の日本人は耐えれるだろうか?カンボジアの水上生活をする人達。アフリカで飲み水を人工的な井戸から運ぶ子供たち。
新興国では実に多様な“生きているシーン”を目の当たりにする。
今の日本人が忘れかけているもの、失いかけているものではないだろうか?
もちろん、彼らにストレスがないと言うわけではない。生きていくためには相当なエネルギーが必要だし今の日本のような先進国に比べて困難なことが多いと思う。しかしながら、今生きることに必死なのである。
一方、日本はどうだろうか?象徴的なのがモンスタークレーマーだ。モンスターペアレントが登場してすでに久しい。顧客満足度を高めることが商売繁盛につながると信じてそうしてきた今、日本は総クレーム社会とも言える。ピリピリしている。
生きるのに必死なのではない。日本にはもちろん、貧困層は存在するが、新興国に比べたらとても豊かで、今を生きることに心配はない。
ストレスはそれ以外のことである。人間関係であったり、過度なサービスの要求による悪循環、つまり、サービスを提供する側で疲れ果てた人が、立場変わって顧客としてクレーマーになったりする。働く人はお客さんでもあるのだから、この悪循環は簡単には断ち切れない。また、情報過多もストレスである。スマホ社会、IT社会もストレスを助長する。人間はそもそもデジタルやネットでは少なからず、マイナス影響があるのは自明の理だ。
書き出したらきりがないが、先進国日本の課題は複雑で、山のように出てくる。
一方、新興国はもう一度書くが今生きる、今の生活に必死なのである。
かつての日本である。
日本のようになったトストレス社会を良い方向に変えるのは容易ではない。ガチガチの経済メカニズムが存在するし、私達生活者も固定観念が染みついている。しかも、今のストレス社会の環境に慣れてしまっている部分もある。
ストレス解消の第一歩は、視点を変える。自分の知らないことを知る。
日本は恵まれすぎていることを知る。(もちろん、先人たちの努力の結果なので、それには敬意を表するとして)。自分たち日本、日本人を客観的に知り、ストレス社会の原因を理解することが大切だと思う。
なぜなら、私自身も仮にストレス対策を教えてほしいと言われたら、まずは、自分がストレスの状態にあることを認識、自覚して、その一つずつに対して、向き合っていくことを勧めるからである。なぜを繰り返していても進展はない。ストレスが溜まらない人はいない。