[本文引用]
このブログのテーマは“仕事は自分で創れ!”としている。
実は、2002年に仕事は自分で創れという本を出版したことがある。
この頃には、このテーマで一冊の本にできるぐらいのネタはすでにあった。
しかし、今日はふと、今日のブログを書こうとして、このタイトルについて改めて書こうと思った次第である。
実は、創業して間もないころ、社員を新たに採用しようと思った時、その時代はそれぼと手段はなく、オーソドックスにリクルート社の求人広告に出してみよう。ということになった。
リクルート社は、言うまでもないが、求人広告のプロだ。広告作成の工程として、求人広告の編集の担当の方から取材を受ける。
うる覚えだが、社長はどんなタイプ、どんな考えの人に入社してもらいたいですか?
こんな感じてインタビューが始まった。
その時は、確信があったわけではないが、次の2つのキーワードで話をした。
・一つは喧嘩が出来る人。
・仕事は自分で創れ。
私は会社を創業した31歳ぐらいから、とにかく、“創る”という字が自分でも不思議なぐらい好きだ。他には、活かす。活きる。もよく使う。
創る。活かす。両方ともアクティブで元気が出て主体的で意志を感じる言葉であると信じているので、今でも多用する。
20年以上前には求人広告でよく使っていた“仕事は自分で創れ”。
その後、新卒採用、新卒採用をするときの求人広告は言うまでもなく、様々なメディアでも使ったし、会社説明会でも当たり前のように話に盛り込んだ。
この時代は特に、依存せず自主的に仕事に取り組む人を求めていた。先ほどあげた“喧嘩が出来る人”は、はっきりものが言える人、ガチンコで仕事に取り組める人という意図があり、この両方を合わせたタイプを集めたかった。つまり、自立して仕事に挑戦できる人という感じだったと思う。
その頃の求人が成功したかどうかは微妙だが、今にして思えば、色々な経験が出来たという意味で考えれば、採用の失敗も含めて大成功だったと思う。
私は、そもそも、20代で働きだした時から、余計な仕事をする。余計な事を言うことを好んだ。
特に、最初に入ったゼネコンでは、やりたかった仕事と違うコンピューター系の仕事だったので、仕事自体は特別に積極的な興味も沸かず、特段強い向上心もなかったが、言われたこと以外の事を勝手に毎日考えてやっていた。
もちろん、その当時の実力と言えば、あまりにも未熟だったので、言われたことすらできていなかったとは思もうが、そういう時でもハッキリものは言って、言われたこと以外(以上)の事をしようという意識はあった。
すでにブログでも書いたことがあるが、そもそも、人から言われるのがとにかく嫌いな性分なので、20代は単純な動機でそういう行動だったと思う。
上司からすると、することもしないで、生意気なヤツだったと反省している。
この頃は、今の私から見たら全く仕事を自分で創っているという次元ではなかった。
そして、創業して社員を雇い、ビジネスを寝ても覚めても考えるようになり、創る。という感覚が自然と体に身についていったように思う。
事業創造という言葉がある。私も好んでよく使う。
まさしく、仕事は自分で創れの最上級に近い。
事業創造は、必ずしも起業する事ではない。
起業する事=事業創造かと言えば、必ずしもそうではない。
シンプルに漢字のイメージのまま説明すると、事業を新たに創ることと理解している。
一つは、世の中に全くないものを創る。もう一つは、すでにあるが改良する。この2つに大別されると思う。
私が仕事を自分で創れを未だに好んで使っている理由が幾つかある。
一つは自分自身に対しての動機付けだ。
未熟ではあったが、20代の時の方が単純、無知な故に私の本質的な思考が発揮できていた。
今よりも、もっとハッキリ物は言ったし、もっと、自分の意見をしっかり固めていた。
今は、妙な経験を積んで、相手の事を慮ることにある程度慣れてきて、情報が多すぎて。こんな状態で、私自身が本当に仕事は自分で創っているか?という問いかけだ。
もう一つは、世の中の人に対してである。
たかが仕事、されど仕事。
自分がどう思うか次第だか、仕事を人生を充実させるための機会と捉えれば、どんな仕事でも価値があるし、どんな仕事でも創意工夫が出来る。
そういう姿勢で今の仕事に取り組んでいれば、いつか、仕事を自分で創れるようになる。と思うからである。
若いころは得てして思うものである。自分に向いている向いていない。こんなつまらない仕事。人の仕事がうらやましく思ったり。もちろん、かっこいい仕事もある。目立たない仕事もある。
しかし、
人間社会を構成するために必要かどうか?
単なる金もうけだけの仕事ではないのか?