[本文引用]
誰しも人生で少なくとも一人や二人は、悩み事や深い相談ができる人はいると思う。
子供の頃であれば、両親や先生でも十分かもしれない。
では、メンターとなると、どうだろうか?
いきなり、メンターと言われてもこの言葉を知らない人も多いかもしれない。
メンターとは、デジタル大辞泉から引用すると、
優れた指導者。助言者。恩師。顧問。信頼のおける相談相手。ギリシャ神話で、オデュッセウスがトロイア戦争に出陣するとき、自分の子供テレマコスを託したすぐれた指導者の名前メントールからきている。
とある。
今では、ビジネスのマネジメントの現場でも一般化されてはいるが、私は、メンターとはシンプルに仕事に限らず人生の師匠と考えている。
少し表現を足せば、人生の羅針盤であり人間としてこうなりたいという意味での目標と言える。
私は今までの人生で何人かのメンターの方にお世話になっている。ただ、ご本人にそういう話もしたことがなければ、今後も“貴殿は私のメンターです”とも言う気もない。
また、メンターになってください。お願いする話でもないと思う。
要は私が勝手にこの方はメンターだと思っているだけである。だから、私のメンターの方々ご本人は私のメンターであることをご存じない。
このあたりは、人それぞれだと思う。
どんな人でも、人生全てが順風満帆の人は存在しないと思う。山あり谷あり、波乱万丈。
上り坂、下り坂、まさかの坂もある。
人は人生においてとても迷う。四六時中訪れる選択肢の中でも迷う。
安全運転を心がけていても、チャレンジングな人生を心がけていても、平等と言う意味ではないが、どういうスタイルの人生でも困難や試練やスランプに出くわす。
また、人間であるがゆえに、人間関係で悩み、迷い、人によっては精神的な過度なストレスを受けて病気になる人もいる。なにかと生きづらい時代だとも言える。
私は、メンターを持ちたい、探したいと思ったことは一度もない。世の中で、メンターについての話題があることは以前から知ってはいたが、30代の頃は、自分にはメンターは関係ない。必要ないと思っていた。
私の場合は、色々あった時、その度に色んな方とお会いして、深い話をして、後になって振り返ると、この方は私のメンター的な存在だと気づいていく。という形だ。
必ずしも年上とも限らない。
私のメンターの方々の共通点は、昔からの私をよくご存知な方だ。
例えば、最初の会社つまり新入社員の時の私を知っている方。
起業してからで言えば、今の私ではなく創業時の私を知っている方。
こういう話になると、では学校時代や学生時代の恩師がいれば・・と思うが、私は学ぶ場ではあまり真剣ではなかったので、そういう関係性はない。思い返せば大学の建築ゼミの教授はとてもすばらしい方だったと思うが、私が深いお付き合いをしていない。そういう意味では自業自得であり残念である。
メンターとは、自分の経営の仕事のアトバイザーや相談相手とは違う。メンターは仕事だけのはなしではない。
簡潔に書くと、自分の生き方にブレはないか?
進んでいる道は正しいか?こういう判断の基準を教えてくれる方であり、羅針盤である。
私の初めてのメンターは、先輩経営者で経営的な師匠でもある方だ。私はこの方の生きざまがカッコ良いといつまでも思っている。
40歳前後で私の会社が窮地に陥った時の一言がいまだに脳裏に染みついている。
“人生と言うのは、死ぬ間際に良かった。と思えたらそれでよい。”
自信が揺らいでいたというか、この先どうするか迷走気味だった私は、この一言を羅針盤に今まで行動してきたと言える。
こんなことを思いながら、仮に私がすでに誰かのメンターになっているかもしれないと思う年齢でもあるが、仮にそうでも、そのことを知らずに生きていきたいと思っている。
以上