[本文引用]
私は今でも米粒一つ残さず食べる癖がある。
もっとも、時と場合によりで、時間がなかったりコメの質にもよるので、完ぺきとは言えないが。
食事に関してもう一つ書くと、
現代は、3秒ルールというものがある。ようだ。
今どきの日本は衛生的な国であり、国民一人一人の衛生意識が高い。だから、家庭での躾も結構、衛生にうるさいところが多いと思う。
食事中に、食べ物がテーブルの上に落ちたら、3秒以内だったら食べても良いという暗黙のジョークとも言えるルールだ。
今の若者でも、たまに、ご飯の米粒一つ残さない、食べ方をする人に出くわす。
瞬間に思う。躾の出来た家庭で育ったんだなと。
私は農家で生まれ育った。
漁師の生活の体験はないが、噂によると、宵越しの金は持たない。という話から類推しても、豪快なる生活ではないかと思う。
一方、農家というのはとても質素だ。そもそも、食べ物はほとんど自家製だ。仮に農業と言う仕事にお金は使っても、生活には本当にお金を使わない。
私の子供時代もそうだった。私の親父は農業ではそれなりにいけていたので、貧乏ではなかったが、とにかく質素だった。
しかも、親父は恐ろしく怖かった。
理不尽なことで怒られた記憶もいまだに残っているが、とにかく食べ物に対してわがままなど言いようがなっかた。米粒一つ残したら、とんでもなく怒られた。
食べ物を土間に落としても、普通に食べる。食べないと怒られた。親父は他界したので、その真意は分からないが、農業なので、米粒一つが出来る苦労を一番知っている。
実際、かつては稲作もしていた。だか、食べ物を粗末にするとバチが当たる。とよく教えられた。
私は、子供の頃はそういう我が家である農家がいやだった。
農家でないその頃の一般の家庭は、食べ物を粗末にしない。お百姓さんに感謝しない。こういう躾がなされていたのだと思う。
昭和の親父は、一家の大黒柱。という印象が強い。
今どきであれば、賛否両論だろうが、私の親父も巨人の星の星一徹(といっても、若い人にはわからないかも。。)のような亭主関白を絵にかいたような人だった。
色々な威厳と怖さを感じて子供時代を過ごしたが、今でもよく思い出す出来事がある。
釣りや魚取りが私の遊びの一つだった。ある日、私が畑の合間の堀に仕掛けておいた竹筒で、大きなウナギが獲れた。
喜び勇んで、母親に渡した。分厚いかば焼きが食べれるだろうと、食事が待ち遠しかった。
夕食に並んだウナギを見て、どうしようもない感情が込み上げた。
ウナギのど真ん中の分厚い部分は、親父の皿、私達男3兄弟と母親は、端の方を小さく分けっこ。冗談のような話だが、私はこの時ほど、家庭の大黒柱とは何かが身に染みたことはない。
今でもウナギは好きだが、スーパーで並んでいるのを見ると、あの時のシーンを思い出す。
今の子供は、スーパーにいけば、いつでもウナギが買える。しかも、しっぽの方を食べる人はあまりいないと思う。今の我が家でもそうである。
私は、他の家庭の昭和の親父はあまり知らない。サラリーマンの家庭は想像できずに、今に至る。私は、今もサラリーマンではない。
ただ、思う事は、自営業であり会社員であり、どんな立場の親父にしても、世の中がすっかり変わってしまったと思う。
今どき、3秒ルール反対と主張しようにも、世間になんと思われるか。
米粒一つ残したことを、果たして叱ることが出来るのだろうか?
日本の躾や道徳はだんだんと乱れてきているのは間違いない。かといって、昭和の親父が復活する時代ではない。
平成の親父の私としては大いなる反省だ。
令和の親父はどうだろうか?
平成の後半からイクメンブームが始まった。
子育てに、男女が関わることは大賛成だ。しかし、躾やもったいないを教える教育をしないと、日本の価値や文化や美徳がますます失われていくのではと危惧している。
また、今流行りの褒めることにだけ偏ってはいけない。今の子供が大人になった時が可哀そうだ。レジリエンスの素養は小さいころから鍛錬する必要があると考えている。
平成の親父としての自分の過去のふるまいを大いに反省して、令和の親父のなにか手伝いが出来ればと思う。
以上