[本文引用]
幾ら時間があっても足らない。
私の口癖でもあり、多くの忙しい人の口癖である。
私も何度口にしたことか?決してネガティブな意識ではない。
確かに駆け出しの時、若いときは、本当にスキルが低く、段取りが悪く、納期に追われ、プレッシャーも感じながら、何度も時間が欲しいと念じたことは何度もある。
しかし今の私の時間が欲しいは、超ボジティブだ。良い意味で、時間がいくらあっても足らない。
今は、したいことが湧き出てくる感じのしあわせ感がある。
実際、私ぐらいの年齢になってくると、仕事のやり方や立場での違いはあるとはいえ、人生での残り時間の総和を時々意識することがある。
20代では、人生という意味では時間は無限にある感覚だった。
だんだんと年齢を重ねてきて、過去の積み上げが長くなると、不思議なもので時間に対する尺度ができてくる。そして感覚的なものであるが、自分の物差しで人生全体の時間の長さというより、総量で考える。
なぜ総量かと言うと、仕事においても充実した人生においてもそうだが、年々、時間の使い方が上手にはなる。使い方ノウハウがどんどん身についていく。だから、グラフに書けば、横軸は時間の長さだが、縦軸はその時間を使って出来る内容やその充実ということになる。こんな図になる。
こんな感覚で毎日過ごしながらも、残り時間の総和を越えて、人生でやり遂げたいことが日々増大する。
だからこそ、今の時間の使い方、過ごし方に意識が強くなり、よりスーパーな時間活用術はないかと模索したりする。
一方で宇宙や様々な学問にも興味津々だ。
今、量子が流行っている。そいう関係を追っかけていくと、自然と“無”、“空間”、“時間”、“意識”などの不思議な概念の研究に出くわす。
先日もこんな時間に関する本を見つけた。
まだ、熟読していないが、タイムマシンの事も書いてある。タイムマシンの実現は不可能だといわれている。その一方で、そういう推論の根拠となる理論や学問が変われば、どうなるか分からないと思う。
では、ここからは想定の話であるが、実際にタイムマシンに乗ってみたいかというと、私はそうは思わない。人気テレビドラマや映画で見ていると確かにワクワクする。しかし私はどこか現実主義者なので、そんなことが起こったら、世の中矛盾だらけになると考える。
自分の過去の自分が怪我したら・・。出会う人が変わったら・・。架空の世界は論理矛盾があっても成り立つが、現実には起こりえない。
一方、自分が創造でタイムマシンに乗ることはできる。過去に戻れば、懐かしい思い出もあれば、私にもトラウマのように思い出したくないこともそれなりにある。
今日のテーマの“時間”で考えたときに、私は過去を時間軸で振り返ることが多い。
例えば、20代の10年間で出来たこと、30代の10年間で出来たこと。
私の年齢だと10年スパンで考えても5つのステージがある。ただ生まれてから10年の最初のステージの記憶はあまりない。
こんな風に、これからのステージを考えるのが私の習慣でもある。
もちろん、今のような時代にはこのスパンを5年ぐらいで考えることも妥当だ。それでも3年では短すぎると思っている。石の上にも3年だから、最低は何事も3年は下積みだと思う。
とりとめもなく思いつくままに書いてきたが、
とどのつまり“時間”という概念は結局、自分の意識の中にしかない。
ということは、他の人もそうで、そもそも他人の時間感覚など分かりようがない。
と言いながら現実は違う。時間があるとかないとかでイライラしたり、あせったり、ストレスを感じたり。
私もそろそろ、そういう世界から脱したいと思っている。
“明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい”
ガンジーが残したこの言葉は重いし深い。
少しでもこの境地に近づきたいと思う。
以上