[本文引用]
“未知”という言葉にはとても惹かれる。
まだ、知られていないことと、まだ知らないことの2つの意味がある。
特に前者の解明されていないことには興味が湧く。
まだ人類が知らないことを知りたいと、常々思う反面、科学者や研究者ではないので、この分野に私がどっぷりつかることは今更不可能だ。
ならばその分野は専門家に任せて、彼らが新たに発見したこと、人類がこれから知るだろうことに常に関心を持っていたい。
では、もう一つの未知についてはどうだろうか?
まだ自分が知らないことである。
私自身、あまりにも知らないことが多い。一方であまりにも関心ごとが増える日々である。
昔、ある方に知的好奇心が強いね。と良い意味で言われたことがあるが、“知れば知るほど知らないことを知る”毎日である。
そんな私が今、未知の両方の意味において、一番関心があるテーマは、宇宙、地球、人間だ。
この3つはとても深い関係にあると信じている。
以前、“本でビジネスを創造する本”でこういう記述をしたことがある。
私は以前、「人間はなぜ存在するのか」という質問に、「宇宙が寂しいから人間を作った」と返答しました。宇宙からすれば、人間が星を見上げたり望遠鏡を覗いたりしなければ、その存在自体が無意味で寂しいと感じるだろうと逸話的に話したのです。
本を書いたのは10年以上前、宇宙のことも知らないし、人間のことも知らない中で、何か関連があると思ったからだ。
実際、最近宇宙に関して数冊本を読んだ。今の時点で概ね宇宙の事は数%しか解明されていない。この事実を知っただけでもとてもワクワクだし新鮮だ。
地球については、毎日私たちが活動している土台としては認識はあるが、まだ知らないことが多すぎる。人間の解明もどんどん進んでいる。いまではDNAの話などは当たり前に日常会話になった。何度考えても未だにDNAを発見した経緯が理解できないし、人間のしていることに常に驚いている。
自分も人間でありながら、いつの時代も人間を探求したり研究する人間がいることにも驚く。
先日、ブレインワーケーションセミナーの新番組“未知への挑戦”がスタートした。
詳細は、こちらをご覧いただけると幸いだが、
自分の職業や専門分野以外のところについて、好奇心旺盛に学習をして発表しようという趣旨である。
私は、第1回目で、すでにさわりは話したが、“古神道”について学んでいこうと思っている。
今までに改めて知ったことは、日本人と自然との関係、調和、共生だ。
森羅万象、自然を神と崇めて日本人は生きてきた。
そう考えていくと、今のようにテクノロジーも天文学も物理も科学も何もなかった時代に、地球で生活し空(宇宙)を毎日見上げて、人間は何を考えて生活していたのかを知りたくなる。
今の私達は、程度差あるとはいえ、地球や宇宙についての知識がある程度ある前提で生活している。
縄文時代の人も今の人も同じ太陽や月を毎日見ている訳である。
宇宙の歴史でいえば、5000年や1万年前でも昨日のような話だ。
アフリカに時々仕事で行くことがあるが、人類発祥の場所だけに、空を見上げて、雲を眺めているだけでも、様々なことが頭をよぎる。同じ空を日本にいる日本人も見ているんだろうなとか。太古の人類は何を考えていたんだろうとか。
まだまだ、私にとっての未知なことは山のようにある。
量子の話にしてもそうだ。先日も大学の専攻が物理学の友人社長と飲みながら、量子論の話をした。話をしたといっても、私はまだ、初心者マークなので、率直に疑問を幾つかぶつけてみた。
飲みながらではあったが、その説明がとても分かりやすく、私の量子に対する理解は一気に進んだ。