[本文引用]
小学校でも英語の学習が始まった。
子供たちの未来のためには大歓迎だ。
もっとも、日本の英語教育の弱点、話することができないを改善する方法が取り入れられていることを願うが。
私は今更、言い訳する気はさらさらないが、英語が使いこなせていない。
高校の時は、得意科目の一つでもあったが、いまだに中学英語程度すらしゃべれない。
読むのはそれなりに出来るだけの昔の英語学習者の典型である。まあ、日常使わないので、その読むのですら鈍り気味になるが・・・
とはいえ、英語に関しては、日本人にとっての言い訳と必然は沢山ある。
そもそも、日本は島国だ。
江戸時代は長い間鎖国もしていた。
しかも、戦後は、国内需要を爆発させて、世界もおどろく経済成長を果たした。
もちろん、高度経済成長時代も商社マンや外交員などは英語を駆使し世界のいたるところで活躍していた。しかしビジネスパーソンのほとんどは、国内でひたすら改善や品質向上に努めてきた。こんなりっぱな功績があることを原点に考えると、英語を使う機会がなかったのも当然だ。
これ以上言うと、自己弁護にもなるが、だから私の世代以上はほとんどが英語が出来ない。
実は私は人生において、3回英語にチャレンジしたことがある。
最初は20代。神戸のとある小さな会社で部下が中国人とマレーシア人になって、コミュニケーションのために英語学習を始めた。しかし、半年後には彼らが日本語をマスターして私の英語を習得する機会はあっさりと消えた。
2回目は、海外で頻繁にビジネスするようになった20年前だ。
簡単に言えば、アジアのどこの国に行っても、日本人よりも英語ができる。欧米ならともかく、アジア圏で一番英語ができない日本というのを認識してから、結構やる気になっていた。
しかし出張ベースでの英語の機会では、なかなか、長続きしなかった。
そして、一番集中したのは40代半ばである。
ラストチャンスだと本気で思った。
この時は、海外ビジネスをさらに発展させるためには、英語が絶対だと本気で考えていた。
流行りの英会話教室など、色々な方法があったが社長業の傍らするのには、独学が一番と考えて、TOEICを目標設定の一つとして使った。
徹底的に2年半取り組んだ。合間を見つけては、テキストを勉強しリスニングのトレーニングをした。テキストも山のように買った。
ついでに英語学習法のノウハウを本にして発表しようとも考えた。そしてそれなりの成果は出た。
初回の受験では400点に満たなかった。約2年半、毎回(2か月に一回)受験を続けた。仕事も忙しかったので、こういうマイルストーンが必要だった。結果、点数はそこそこ向上し実際の英会話では、とにかくリスニング力は相当高まった実感があった。それとリーデング力。ようするにその頃のTOEICはそういう試験だった。
一方、ライティングをする機会はほぼなかったのと、会話も結局は日常で使う機会が増えたわけでもなく、時間の経過とともにだんだんと英語力は減衰し、今は、またまた振出状態だ。
私の周りの日本人も世代関係なく、英語ができる人は少なからずいる。流暢に話するのを目の当たりにすると、自身の過去の学習が反省として蘇る。
帰国子女は当たり前として、若い時の留学経験者は英会話の基礎は出来ている人が多い。あとは、団塊の世代でも海外ビジネスの経験者。海外赴任が多い元商社マンなどは、本当にシニアでも英語は堪能だ。ようは、英語が必要な環境、使う機会があったかどうかだと思う。
また、今の若い世代は、英語が私の世代よりも日常の事と捉えているように思う。
日本にいても英語に接する機会は年々増えている。
オンライン英会話やスマホでの英語学習のアプリなど、学ぶ環境は充実している。
そう考えてみると、やはり使う機会があるかどうかで、英語力が向上するかどうかは決まる。分かり切ったことなのであるが、これがなかなかできない。
私は、近々に英語マスターのラストチャンスに挑戦する。
理由はシンプルでマスターするのに2、3年、それをビジネスで活用して10年ぐらいだと思う。
今回は、特段プレッシャーも焦りもなく、自然体で英語をマスターしようと思っている。
そういう意味では、過去と違って極めて能動的である。
AIの発達とともに自動通翻訳も日増しにレベルが向上している今、英語を使えなくてもビジネスには支障がない日が近づいている。今でも通訳でもほとんどがカバーできる。
あと、20年後のテクノロジーの進化は想像をはるかに超えるのだけは間違いない。