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自分にしかできない仕事の価値について考える

ユーザー
サイト管理者
日付
20年11月8日 16時16分
元記事URL(外部サイト)
https://ameblo.jp/kondoh-blg/entry-12636728052.html

[本文引用]

 

 

久しぶりに世間では成果主義や実力主義が、大きな話題になっている。

(この2つは、ほぼ同じ意味なので、以下、成果主義とする)

 

今更と言う感は無くはないが、

働き方の見直しに、コロナ禍で拍車がかかった今、今回こそは本質的な改革が必要だと思っている。

 

コロナ禍の前、日本では働き方改革と言う錦の御旗の下に、仕事のやり方を変えよう、働く時間を少なくしよう。それがひいては日本の生産性の向上につながると喧伝されていた。


背景には、他の先進国からの日本は働きすぎと言う批判を和らげる目的もあったと聞く。

私はこういう画一的な一連の働き改革には反対だった。そもそも中小への適応は困難で、仮に改革できたとしても大企業であればだった。

 

労働を時間で清算するという考えは、工場の労働者の管理から生まれてきたもので、その対象は工場のワーカーだ。それをホワイトカラーに丸ごと当てはめようとするから無理があった訳だ。

 

バブル崩壊前後に、それまでの年功序列が崩れ始め、能力主義も登場した。そして一時期成果主義が主流になった時代があった。

 

そして今このコロナ禍における強制的な仕事スタイルの変更により、再び成果主義を再考する動きが目立つ。


そもそも、これは理にかなったことであると思う。私は、経営者をしていることも根底にはあるが、成果主義の考え方には若い時から賛成だ。

実際に、私の仕事人生では、ほとんどが、こういう世界で働いてきた。


もっとも、私も駆け出しのころ、4年間ほどは、単なる雇われの人だったので、残業代を意識して働いた期間はある。結婚した当初、月にたった0.5時間の残業代を申請して、上司にひんしゅくを買ったこともある。

 

26歳で転職してから私は固定給に変わった。残業代がつかないスタイルで数年間働き、そして31歳で独立した。大した実力もなかったので給与をもらい過ぎと思ったこともある時期だ。その後、独立したので100%、成果主義で過ごしたきた。

 

だからと言って、私は残業代を受け取る仕事を否定するわけではない。世の中には、時間清算が相応しい労働は沢山ある。

産業革命以来、生まれてきた工場の生産ラインでの仕事やオフィスワークの典型である事務業務などは、今後も時間清算業務だと思う。

 

一方で、この20年ぐらいで議論は尽くされているが、成果が時間では評価できない仕事も沢山ある。それでも仮に時間で評価すると2、3倍の差どころではなく、10倍以上の差がつくこともある。


例えば、デザインを10時間かけたところで、数分でひらめいた方に軍配が上がるケースも多々ある。クリエイティブな仕事や付加価値の仕事などは、そもそも時間でするものではない。

モノづくりと言えば、農業もそうだが、農業こそ、時間清算でするものではない。売り物になる野菜が出来てなんぼの世界だ。

 

私は、農業の中で育ってきたので、モノづくりやクリエイティブな世界は、成果主義が当たり前だと思う。(もっとも、こういう言葉が当てはまらない世界ではあるので、新しい言葉が必要だが・・)

 


少し話は変わるが、コロナ禍の中で、ワーケーションブームだが、時間清算の仕事はこれにはあまり適さない。もともと、付加価値創造型の仕事でないとワーケーションは無理だ。


理由は幾つかあるが、最たるものを書くと、そもそも、仕事ができる人はリラックスしたり余暇を過ごしている時に、創造力が発揮できたり、アイデアがまとまるものである。

これはある意味、そういうプロの世界の人には常識だ。


これを時間清算型で評価するほうが無理がある。

仕事と遊びの境目がない世界が、こういう仕事のアイデアや発想の源泉になっていたりする。かといっていくら何でも、遊びを仕事時間とするわけにいかない。

 

良きせぬ事が起こり、在宅勤務やテレワークをやってみて行き着いたところが成果主義。この数10年、巡り巡って、成果主義ということであったとしても、1つの正しい方向にようやく気づいたような気がする。


稼働時間と相関のない仕事やマネージメントの仕事などは、時間をその成果の評価指標にするのは無理があるのだ。

 

ただ、ここまでの考