[本文引用]
ベトナムの動きは常に気になる。
創業以来、新興国ビジネスの中では一番力を入れてきた。
20年以上前からの投資と経験が、そろそろ、活きてくる確信がある。
コロナ前までは、基本的に約20年間、毎月、日本とベトナムを行き来していた。常に現地のベトナム人社員と直で仕事したり食事したりだった。
それが今は、8か月近く、現地のベトナム人社員との活動は、オンラインに限られている。これは他の会社も事情は同じだ。
この先の見通しはなかなか予想はつかないが、オンラインで促進できるビジネスもそれなりに見えてきた。この半年近く、ベトナム人経営者中心に情報共有や随時のMTGを行いながら、日本とベトナムのビジネス連携の新時代を模索している。
結論から言うと、コロナ前の日越ビジネスの盛り上がり感が更に加速するのは間違いない。
すごろくで言えば、振出しに戻ったような感覚の部分と、日本が長年積み上げてきた信用を基盤とした日越の強固なつながりの両方が混ざっている状況である。
日本とベトナムのかかわりを簡単に振り返ってみる。
日本の高度経済成長時代の過程で、新興国への海外進出が盛んになった。安い労働力を求めての製造業の海外移転は顕著だった。
タイから始まって、中国に広がり、その後、チャイナプラスワンの時代になって、ベトナムに注目が集まりだして早10年になろうとしている。
ベトナムはそれに呼応するかのように、2020年工業立国の達成を旗印に、タイに追いつき追い越せとばかりにまい進してきた。
その実現には、日本の製造業の進出への期待は大きかった。とりわけすそ野産業育成には期待していた。
コロナ前までは、日本から見たら、手順通り定石通りの安全運転のベトナム進出だが、ベトナム側から見たら、不満は募る一方だった。製造業の進出の緩慢さが日本がNATOと揶揄されてきた最大の原因だろう。投資と労働市場の拡大に期待してきたベトナムとしたら、不満はピークに来ていた。
もう一つ海外進出で常に上位のテーマになるのが、マーケットとして考えることだ。
簡単に言えば、日本の商品を売る。しかし、これは日本の期待とは裏腹に、富裕層はともかく、そんな過度の期待に応えられるほどの購買力はない。
人口ボーナス期とは言え、所得水準を見れば一目瞭然だ。
コロナ禍で、長い踊り場になっている日越ビジネスだが、これからの日本がどうすればよいのか?
大きな岐路にあると考えている。
私は、日本はやはり、未来へつながるビジネス活動を地に足を付けて行うことが最も重要だと思う。その最たるものは教育である。しっかりした教育ができてこそ、ビジネスのレベルも高くなる。
しかもこれからは環境や安心安全などの健全なビジネスが重要となる。こういう教育に、しっかり日本が貢献してはじめて、将来の収益化も見えてくる。教育ビジネスで収益化を急ぐと、自ずと難しい局面に遭遇する。
あとは、日本の反省を活かしつつ、SDGSに代表される地球環境に配慮したビジネスの創造を一緒にする。
もう一つ上げるとすれば、人材活躍の場を創造し提供することである。優秀でハングリーな若者が沢山いる。日本の戦後間がないころと考えると日本人には理解しやすいと思う。ハングリーさは何よりも大切だ。教えれるものではない。時代背景や環境の影響が大きい。少なくとも今の日本にはほとんどない。
だからこそ、人的交流が重要になってくる。