[本文引用]
最近、ビジネスや経済の世界で、エコシステムが流行っている。
もともと、生物学の用語で、生態系と自然環境の相互作用の中での調和という意味合いに捉えているが、この使い方はとても多様だ。
環境問題は言うまでもなく、リサイクル、人材活用、建築、ITでも色々なテーマでエコシステムが使われるている。
例えば、新興国の人材活用をエコシステムで考えてみる。今、日本は新興国からの若手労働力で経済の基盤を支えてもらっている。
仕組みとしては、技能実習制度が定着している。
一方的に日本のメリットだけ考えれば、日本の国や日本の企業が新興国の労働力を活用して終わり。極端になると、搾取していると国際批判を浴びやすい際どい制度である。
これを双方がメリットを享受する姿で考えてみる。それは結構シンプルで、日本に来た彼らの帰国後の働き場所や活躍の場も含めて提供することである。これが新興国人材活用のエコシステムということになる。
こういう思考を持った経営者は少なからずいるし、そういう企業に新興国の若者は集まる時代になった。
エコシステムは循環する仕組み、その仕組みの利害関係者が皆、Winになる仕組みとも言える。高い低いでもなく、力が強い弱いでもなく、フラットな関係性の構築とも言える。
もともとの自然界の調和や循環から生まれたことであるので、その原点に立ってこのエコシステムを考えてみたい。
人間は社会的な動物でもあり、身勝手な動物でもある。
前者はエコシステムの成就に対するベースの動機となる。一方で、後者は自分さえよければのエゴが優先する。
エコシステムというのは聞こえも良いし、理想的な姿だ。どんな分野でも、エコシステムを提唱すると賛同が得られるし格好が良い。
しかし、いざ、それを実現しようとすると、エゴの本音が登場する。
エコシステムに関しては、自分のことではなく、他人事の人が多い。
利害関係が相対すると、自分が犠牲になってでもエコシスムを優先できる人は少ない。全体最適を求めると部分や個人が一時期は損失や負荷を被ることもあり得る。
また、自分だけよければというエゴの塊の人も世の中には必ず存在する。
結論から言うと、こういう人は排除するしかないが、厄介なのは、自分ぐらい手を抜いても大丈夫だと言う人間の心理だ。綱引きを思い出すと分かりやすい。全員が100%で力を発揮すればよいが、人間が集まるとそうはいかない。
仮に8人で綱引きをしていると一人は49%しか力をだしていないと言われている。
こういう落とし穴は、心理学の世界で、傍観者効果やリンゲルマン効果と呼ばれている。
結局は、こういう依存の心理が働くと、エコシステムは理想通りには機能しない。
人間が本能的に持っている二つの特徴、社会的と身勝手。これがエコシステムとエゴシステムを生み出している根底にあると思っている。
(エゴシステムという言葉も、ネットで見るとチラホラ使われている。)
時間軸で見ると、産業革命以来、部分的にはエコシステムは機能してきたが、地球全体で見ると、エゴシステムが優先してきたと言える。結果、地球が悲鳴を上げている訳だ。別の構図で見ると、人間のエゴによる活動で、地球そのもののエコシステムに悪影響を及ぼしているということである。
短絡的に考えれば、人間がいなくなれば、エコシステムは機能する。これでは、人間としての存在価値はない。
いかにエゴに抗って、エゴシステムをエコシステムに変えていくかは、人間が自ら生み出した難題である。
解決の手がかりは、教育とITであることは疑う余地はない。
前者は、環境などの問題に関して言うと、老若男女が同レベルの知識を身に付ける教育。
後者については、現状や問題点、課題を見える化する、記録する、共有する、そしてつながるためにITを使う。ITで出来ることは相当ある。
地球規模の全体最適の実現は人間だけの力では不可能だ。
エゴは永遠になくならない。
エゴをコントロールするのは教育された人間とITとデータでしかありえない。
そういう仕組み作りに貢献しようと考えている。