[本文引用]
新しい年が始まった。
毎年、年末年始のこの特別感はなかなか良い。
子供の頃であれば、年末からの餅つき、大掃除から始まって、正月になって、お雑煮食べて、お年玉と年賀状を待つというオーソドックスな過ごし方だった。
今となっては、それも懐かしい。
創業してからは、正月の在り方が変わった。
会社は1年の会計年度単位で、経営計画を立案し、その達成に向けて日々活動する。それを28回重ねてきたと思うと、我ながらよく続けてきたものだと思う。
会社をするようになって、決算月の9月とともに、この1年の始まりは常に大きな節目になった。
事業の成功の祈願で初詣に行き、オフィスやベトナムの店舗に置いておく干支の置物を買うのが自然と習慣になった。
創業30年が目の前にやってきて改めて思う。
正月は、会社にとっても大きなマイルストーンになった。
あと1年、この1年、なんとか1年。
こんな感覚で過ごしたことも幾度とあった。
1年と言う単位は、試練を乗り切るには長すぎることもなく短くもなく。
継続は力なりと言うが、ひたすら、これを行動の糧にして、今後も続ていこうと思う。
一方、1年の始まりと言うのは、やはり個人としての節目のウエイトも高い。
もし、12月末が決算であれば、また違った年末年始になるような気はするが。
40代の数年間は、この年初に個人の目標や取り組みについて、ちゃんとしたメモにしていたこともある。
その割には、結局、そのメモを一度も振り返ることはなかったが、何となくにしても、何か目標設定をすることは良いことだと今も思っている。たいていのことは、その通りにはならないが、それはそれで意味がある。
今年は丑年である。
来年は寅年。実は私は来年、年男である。
それこそ、昔なら来年で定年の年だ。
そんなタイミングなので、年男の節目に照準を合わせて、今年を過ごそうと思う。
60代でしたいことは山のようにある。
別に人生の集大成ではないが、せっかくの一度きりの人生、会社にも何にも縛られず、好きなことを10年ぐらいしようと思う。
もちろん、今の会社経営には責任があるので、会社の未来もしっかり設計して、道筋をつけてからの話になるが、私の60代は、周りの方々から見たら、きっと驚くことになると思う。
全く、今の延長線上にないことに幾つかチャレンジしようと考えている。
私が、31歳で創業した時は、周囲の人は驚きはほとんどなく、やめておいた方が良い。と諫める声が多かった。
バブル崩壊直後の創業は、多くの人に反対された。今となっては懐かしい。
流石に私がこの年になると、次何をやるにしても勝手にしたら。お好きにどうぞ。と言っていただけるように思っている。
60代でのやりたいことの礎にするために、今もっとも関心があるテーマが幾つかある。
真っ先に浮かぶのがアート。
アートは本当に幅広い。音楽や絵画などの芸術は言うまでもなく、建築も都市もアートである。自然や宇宙もアートだし、要するに人間がアートと感じればアートだと思っている。
極論言えば、私がアートだと思えばアートだ。
実は、経営をアートで考えるという考えに、この数年凝ってきた。しかし何か答えを見つけたわけではない。
そもそも、本当に経営はアートで考えることが出来るのか?
昨年は、コロナ危機もあって、“経営は健全である”が原則ではないかと確信に至った。
そうすると、アートは健全なのか?
ということにもなる。
アートの感覚はやっぱり違う。
人間は、動物であるがゆえに、本能的な行動をすることがままある。この本能とアートはまた違う。動物の本能とアートは無縁だと思う。
やはり、アートは人間だけが持つ特有の感覚だと思う。人間が何かを感じるからアートという概念が生まれると思っている。
アートの対象は人間が創作したものとは限らない。自然の景観も渡り鳥の群れもアートである。
私は、特に空に浮かぶ雲はアートだと思う。
瞬間瞬間の雲との出会いは、とても多くのことを感じる。
では、感じるとは何だろうか?
少なくとも、アートを感じることで、感じる力が高まるように思う。
今年の私の目標の一つは、“感じる”をキーワードに色々と取り組んでみようと思う。
感じるメディア、感じる教育、感じる仕事、感じる表現、感じる住まい、感じるつながり。幾つもある。
こんなことを年明け早々に考えていると、
なんとなく、未知の世界も混ざっていてワクワクする。
もう一つ、社会学も極めてみたい。
年末から急に社会学にも関心が強まってきた。