[本文引用]
知らないことを知らないと言うには、結構勇気が必要な場面がある。
それはなぜかというと、一言でいえば、自分の評価や価値が下がるのでは、という心理に尽きるのではないかと思う。
かみ砕いていくと、この背景には色々と奥が深いものがある。
思い付くシーンを幾つか書いてみる。
私が過去、自分で遭遇してきたことであるが・・
まずは、ハードルの低い社内MTGで考える。
上司が話している中に、知らない単語が突然飛び出してきた。例えば今ならDXだ。
デジタルトランスフォーメーションと世間では使われている。ITの専門家であればいざ知らず、仮に知っている人がいたとしても、ごく最近の事であるので、知らなくて当たり前だ。
迷いなく分かりません。
と聞きたいところだ。
その場で直ぐに聞く。これが重要だ。
ところが、これがIT会社での技術部隊の会話になると、たちまち、ハードルが高くなる。最先端の流行言葉は知っていて当たり前という風潮がある。
知りません。と言おうものなら、自分の評価を下げてしまう。普段からの勉強不足、努力不足が露見する。こんな理由で、そこは黙ってやり過ごし、後で、スマホでさっさと調べる。
今なら、オンライン会議なので、手元のスマホで密かに調べることもできてしまう。こんな環境になればなるほど、知らないことに対して逃げ易くなる。
私は、このあたりが、仕事ができるようになるかどうかの分岐点であると思っている。
その場しのぎで、知らないことを知っているかのようにふるまうと悪い癖がついてしまう。
知らないことに引っかかれなくなったら、堕落の一方である。
後で調べても分からない事だって、レベルの高いもの同士の会話ではよくあることだ。
こんな時は、さてどうするべきか?とても悩ましい。
話は変わるが、旅の恥はかき捨て。という諺がある。結構これは、仕事にも当てはまる。
自分の努力不足、スキル不足であったとしても、これをストレートにオープンにする。小細工はしない。できていなものはできていない。それを反省して、努力不足を解消する。
こんな単純な心の持ち方が大事だ。
一方、自分の専門外のテーマの会話でも落とし穴はある。単純に考えれば専門外のことを聞くのは楽なはずだ。知らないのが当たり前なのだから。
専門外のテーマでも、やや複雑な場面になると、これまた悩ましくなる。
例えば、自分は建築に詳しい、相手は環境に詳しい。お互いのテーマの共通点が多い時、結構微妙な会話がなされることがある。突き詰めていけば、建築と環境は切っても切り離させない関係にあるから大変だ。
環境に詳しい相手が、カーボンオフセットの話を振ってきたとする。二酸化炭素の排出を減らそうという話は知っていても、意外とこういう専門用語はしらないものだ。
シンプルに、自分の専門外だから知りません。教えてください。と言えるとその後の会話は楽だ。当然、相手はそういう前提で話してくれる。
では、知りません。と言えない場面とはどんなときだろうか?
大抵は、自分がこれから建築と環境の関係についても探求を始めたばかりで、まだ知識が浅いときにおこる。
少し先が見通せていればなおのこと、環境に詳しい建築の専門家のイメージが分かる。そうすると、このブログの出だしで挙げたような知らないと言えない心理に陥る。
本当は、専門外のテーマぐらい、知らないと言いやすいことはない。
ある意味では、世間の当たり前である。
自分に幾つか専門の自信のある分野があれば、専門外のことは、堂々と知らないことは知らないとして、世間を渡った方が得である。なぜならば、自分の専門以外の事は、色々な人が親切に教えてくれる。
ただ、大事なのは、こういう時は、相手がどういうタイプの人かの見極めも大事だ。
ご存知の通り、あるいは、ご存知かもしれませんが、と気配り発言ができる人には、知らないと言いやすいし、会話も心地よい。
なぜなら、そういう人は、相手のレベルの確認をしっかり行いながら、会話ができる人である。当然一方的に話をしない人である。
相手の理解度は、うなずきや表情、言葉の反応で大抵は察しはつく。何よりも大事なのは、会話が始まる前の創造力だと思う。
こういう分野のこの年数の経験があり、こういう仕事をしてきた人であるならば、知っている可能性は高い。自分よりも知見があ