[本文引用]
人に何かを教えるのが好きかと聞かれれば、
結構好きな方です。と答える。
では、人に教えられるのは好きかと聞かれれば、
嫌いです。と答える。
これだけの話だと、単に近藤は変わったヤツで終わりそうな自覚はある。
まず、人に教えられる方だが、人に教えられるときに、じっとしているのが子供の頃から嫌いだったという方が正確だと思う。
とにかく、注意散漫な子供時代は、学校の先生に心配と苦労を掛けたと思う。
今なら、好奇心旺盛なちょっと変わった子と言われる時代かもしれない。
正直、それに加えて自分流をいつも磨きたいという想いは強いので、学び方は常に自分流を磨いてきたつもりだ。
今でも知らない事、新しいことができると、人に聞く前に、短時間でも限られた時間でもできるだけ基礎知識を自分で習得してあたりはつける。
そういう意味では、私のようなタイプには、今どきの環境はとても快適だ。
30年前なら、そもそも、仕事の専門書を探すのは大変だった。私が、ひょんなことからすることになったITの専門書など本屋に行っても皆無だった。当時は、パソコンが登場して間無の頃で、パソコンは全く大衆化していなかった。プログラマーなども汎用コンピューターやオフコンの世界であり、コンピューターメーカーの専門書しかなかった。
だから、仕事にしても、決まりきったマニュアルなどに従って学ぶ、とても味気ないものだった。他の分野であれば違ったかもしれないが、私は、ITの仕事から社会人生活を始めたので、自由度のない世界で仕事を覚えた。
そういう意味でも特段、現場の実例以外は、先輩に聞く必要もなかった。だから独学という事になる。ついでに書くと、一年生の時にIBMの研修センターに合計で50日ほど研修に行かされた。
あまりにもひどい社員だったと思うが、内容もつまらないし、ITもやりたくなかったので、ほぼ毎回寝ていた。楽しみと言ったら、りっぱな社員食堂の昼食ぐらい。
20代後半になって、少しずつ仕事の意欲が湧いてきたころも、独学中心だった。
私が初めて部下を持ち人に教えたのは、26歳で転職したIT人材派遣会社の時である。
部下は中国人2人、マレーシア人3人だ。
この時は、流石に想定外でもあり、教え方を自分で学んだ。記憶は薄れてはいるが、情報処理に関する資格を取っていたので、そういうものからヒントを得て、基本的な事を教えた。
一方で日本人の先輩は、我流のプログラミングを教え込もうとした。その時は、あまり気にならなかったが、今から振り返ると、教える時に何を基準で教えるかの尺度が身についたように思う。
結論から言うと、私は、自分でする仕事は基本は我流。人に教えるのは基本は標準的な事を意識している。
もちろん、自分でする仕事の基本は標準的な事である。土台となる部分である。
これを常に磨きながら、その上に我流の仕事のやり方を見つけ極める。
ある意味では、新規事業にチャレンジするような感覚だ。
こんな私も本格的に企業向け教育サービスをしてもう30年近くになる。今でも社員教育は興味が尽きないし、特に日本人だけでなく新興国の人材育成にはとてものめり込んでいる。
彼らに教える機会では、大袈裟に言えば、日本代表の意識を持っている。当然、私の我流は教えない。私の我流が日本標準とは限らないからだ。
そういう機会に遭遇する度に、私自身も日本の標準とは何か?日本の強みは何か?日本の強みであるチームワークとは何か?は見つめなおす。
そうすると、今の私自身の経営や社員教育に限らず社員のマネジメントにも役立つことは多い。
私には創業してからは上司は存在しない。
そういう立場で常に意識的に部下を見ていることがある。それは部下が部下にどういう教え方をするかだ。
本人がその時知っていることだけを教えられたらたまらない。特に中途採用組には神経を使う。なぜなら、会社の社歴が浅ければ浅いほど、以前の会社の仕事のやり方を教えるからだ。大抵が我流になる。
だから、社歴の浅い中途採用組には新入社員の教育担当は任せれない。
では、創業者の近藤昇の仕事のやり方を教えればよいのか?それも違う。常に大切にしているのは、自社でも世間の一流企業でも通用する基本だ。
そんなことを目指して、15年ほど前からまとめてきたのが、当社のヒューマンブランドシリーズである。
最近は事あるごとに見直している。すると私の我流、わが社の我流が少し混ざっていることに気づく。制作から時間も空いて、それだけ客観的なチェックができているのと、以前より世間標準、グローバルな標準が身についてきたからだと思う。
こんな感じて、当社のビジ