[本文引用]
最近、面白い本を読んだ。
私が随分前から関心が強い、江戸時代のことに関する本だ。
たった、200年前に江戸時代だったことを想像するだけでも、妙な不思議な感動すら覚える。なにも、今のように日本が先進国として進化したからという感覚ではない。
どちらかと言うと、逆である。
私が今まで興味をもって調べたり読んだり、詳しい人に聞いたり、フリーでディスカッションしたりしてきた中で、現時点で要約すると、江戸時代は、今の日本がお手本にするべきことが沢山あると思っている。
例えば、一つ、今私達には、日本の人口が減っていることが、重くのしかかっている。抗うことの出来ない、対策も効果がない、日本の大きな根っこの課題として横たわっている。しかし江戸時代の人口は4000万人を超えたことがないのだ。
私は、20年以上前から、高齢化日本、少子化日本のどちらにも関心があった。
その当時は私が何か一つでも改善に貢献出来たらという単純な動機だったと思う。
しかし、今考えていることは、そもそも人口の増減は、時々の国の政策や大きな自然災害などの影響はあるにしても、やはり、1000年スパンで見たら、自然の摂理とも思えるトレンドがある。
一つは、地球の人口は増え続けているということ。もう一つは、人口が増えていくといずれは高齢化社会に突入するということ。
これは歴史を見ても、今の世界のどの国を見ても同じだ。単純比較が大事なので、移民を多く受けて入れている米国などは例外として見ている前提である。
こんな風にあれこれ考えていると、今とほぼ同じ国土面積の日本で、江戸時代は4000万人弱が全国つづうら浦、豊かに平和に暮らしていたことが、実感として湧いてくるのである。
誰でも知っていることだが、江戸時代の前は長い間争いの時代だった。家康がそれを静定したことによって、約300年も同じ政治体制、国家体制が続いた。平和で安定的な時代だっと分かる。
今の日本の戦後の歴史にしても、まだ、100年に到達していない。
しかし、人間は自分が生きている時代を軸にしか物事を理解しないし、判断できない。
だから今の日本人も常に、少し前の日本と比べて、良い悪いの議論だ。特に団塊の世代は、あまりにも激しかったにしろ、右肩上がりの概ね何をやってもうまくいく時代に働いた経験が、良い意味でも悪い意味でも、判断や行動の基準になってしまっている。
そして、今の子供たちに余計な先入観を植え付ける。失われた30年と言ってみたり、今の子供たちは未来が不安だから可哀そうだと決めつけてみたり。
私は、今の大人達は、こういう短絡的情緒的な表現をする人が多すぎると思う。
やや話は脱線してきたが、団塊の世代も子供たちも、一度、私たち日本人の歴史上、もっとも安定していた時代のことを学ぶことはとても大切ではないかと思う。
全てが良いことばかりではないにしても、少なくとも1つ2つぐらいは、江戸時代に学ぶ、江戸時代の暮らしを現代に取りて入れるヒントがあると思っている。
コロナ禍で温故知新を見直す人が増えた。
改めて私は思う。
日本はとても恵まれた国である。300年前も日本だったのだから。
冒頭の話に戻るが、私は、江戸時代の本をいろいろ読んでいるが、この本はお勧めだ。この本を読んで一つの誤解が解けた。
江戸時代は、内需で出来上がっていた。必然的にエネルギーも国内で供給だ。その最大の資源は森林だった。だから江戸後期は、森林破壊がかなり進行していた。そして、川が氾濫する原因にもなっていた。
よくよく考えてみたら、分かることだが、こういうこと1つでも日本人は知らない。
そして、今の日本はかつてないほど、森林資源が豊かに状態である。確かに、獣害被害やスギ花粉などで悩まされてはいるが、自然の資源と言う意味では、今日本は歴史上最高に豊かな時期なのかもしれない。だが勿体無いことに、有効活用できていないのである。
記録として残っているからこそ、私たちが江戸時代のことを知ることが出来る。
この本には、気候変動については様々な考察がされている。その根拠の一つが、日本の様々な場所で書かれた日記や書き物である。
こういう貴重な記録を頼りに紐解く日本の昔。このありだかみを痛感する。これは世界でも同じだろう。一方、今はどうか?スマホを見れば、時間単位でスポット単位で天気の様子が分かる。しかも、それは永遠に記録できるデジタルデータだ。
100年後、1000年後の未来の人が、今の日本の課題を分析する必要もないだろう。
一方で、いつまでたっても、江戸時代の情報源は貴重だ。こういう時代の変革を、私は記録の世紀、記録の時代と表現しているが、やっぱり、今のうちにもっと江戸時代を研究しておこうと思う。
以上