[本文引用]
ホウレンソウは日本人で仕事している人なら、誰でも知っていると言っても過言ではない。
報連相と書けば、より一層、身近に感じると思う。
ホウレンソウなくして、仕事は成り立たないのか?本当に、このホウレンソウは大切なのか?
最近、ずっと考えてきた。
実は、当社の経営幹部の一人が新入社員の頃、社員教育の場での彼からの質問がずっと未解明だった。これで中小企業の情報共有化は成功するという上梓したばかりの拙著を使って社員教育をしていた。
その際、報連相の説明に食いついてきた。
報連相とは報告、連絡、相談のことで、これはとても重要で・・と説明したところで。
彼は質問があります。大事なのは報告ではないのですか?と。
私は即座に、その通り、よく分かっている。
こんなやりとりをしたことを未だに覚えている。
あれから、20年近くたった今も、実際に仕事をしていて、報告は絶対必要なもの、当たり前の事と思っているが、連絡、相談については、全く次元が違うと考えている。
なぜかおまじないのように、報連相をちゃんとしなさい。報連相をしっかり身に付けなさい。今の日本でもあちこちで使われていることだろう。
だから、ホエレンソウと言えば、すでにひとつの単語になっていて、報告、連絡、相談と分解する人も少なくなっているかもしれない。
私は、会社員は9年やっていたので、少しは部下の気持ちも理解できる。
子どもが自分が親になって初めて、親の気持ちや言動が理解できるのと一緒で、部下の間は上司の気持ちはなかなかわかるものではない。
私は今、会社経営の一番上の責任者だから、これもなってみない人には理解できない部分があるだろう。
その一つが、このホウレンソウだと思う。
本当に必要なのは報告である。
連絡、相談は必要がないとは言わないが、そもそも、経営トップに連絡という使い方はおかしい。相談といっても、プライベートでもない限り、経営トップに相談とは一体何か?
少なくとも経営幹部ならわかるが、一般の社員にはあまり関係のないことだ。
何度考えても、報告が断トツに重要なのである。
ではなぜ、報告が必要なのか?
報告がなくてもことたりる状態とは何か?
そろそろ、時代の変化の中、報告すら死語になるような気がしている。
一言でいうと、それは“見える化”である。
私はこういう類の話をするときに、コックピット経営の話をよく事例に出す。コックピットとは、飛行機のそれである。飛行機は出発前に、整備士や関係者が念入りに点検する。これは極めて重要な役割だ。不具合があったり燃料不足があると大変な事態になる。
少なくとも飛行中の責任はパイロットが担うわけだが、出発前の点検もパイロットの責任でもある。だからと言って、出発前に機体の点検に立ち会うわけではない。少なくともコックピットの中で、様々な情報を頼りに判断するわけである。
単純化すると2つだと思う。一つは、コンピューターで制御された計器類の目視確認と、整備員などの報告だ。
実際は、私には、飛行機の現場は知らないので、推論で言うと、人間の点検はいずれ無くなる可能性はあるのではと思う。まだまだ、実用化には時間がかかるが、ロボットとAIで人間の代わりは出来そうな世界である。
こういうイメージで考えると、いずれは人間の報告すらなくなりそうである。
話を仕事に戻すが、報連相はすでに時代遅れ。だが、報告は絶対必要。それは見える化のために。
しかし、それも、IT化が進みRPAやAIが仕事現場て当たり前になってくると、自動的に見える化が進行する。
報告も絶対でない時代が来そうに思う。その時には、報連相は過去のもので、ホウレンソウの意味することは、一体何だったのだろうか?となるだろう。
ただ最低あと10年は劇的な進歩はなさそうだ。それまでは報告をしっかりできる人が集まった企業が生き残ると考えている。
以上