[本文引用]
私は国語が大嫌いだった。
小学校の頃は特に国語の授業が憂鬱だった。
夏休みの宿題の読書感想文は特にひどかった。あとがきだけを見て提出していた。唯一、夏目漱石の“ぼっちゃん”は読んで面白かったというかすかな記憶はある。
では、苦手科目かというとそうでもなかった。
少なくとも私の子供時代は、国語も記憶するウェイトが高かったように思う。
特に、漢字テストは印象にある。
漢字や四字熟語はひたすら記憶して、テストに臨んでいた。
要するに、国語を純粋に学ぶ気持ちがほとんどなかったのが子供時代である。
そして、古文や漢文になってくると、ますます、記憶のみの世界にハマっていった。
こんな感じて、国語からどんどん遠ざかっていった訳である。
そんな私が巡り合わせで、30代後半に、書籍を書くという機会を得た。
正直、今でも国語の苦手意識は残っている。
やはり、多感でスポンジのように吸収力が高かった子供時代に国語にまっすぐ向き合っていなかったツケはずっと感じてきた。
特に文章を日々書き続けて想う事が幾つかある。それに加えて、漢字や日本に精通されている方々とのお付き合いも急に深くなってきた。今、私自身の転機と捉えている。
もともと、海外で活動して、日本のことを思う気持ちは人一倍強い。
もっと、日本のことを学び、自信をもって世界に伝えたいとも思っている。
ただ、そうしようと思えば思うほど、日本のことを知るには、漢字の本来の意味が理解できていないと不完全であることを痛感する。
私の子供時代からの積み上げてきたことで、漢字はある程度は読める。知らない感じでも辞書を見れば分かる。
しかし、その意味をほとんど考えたことがなかった。漢字一つずつの意味の深さに今更ながら驚いている。
最近急に、“国家の品格”を読みたくなってネットで注文した。
この本を読んだときは、衝撃的だった。
日本人はもっと国語を勉強したらよい。
日本人は、グローバル化の中、英語の勉強をする前に国語を学ぶべきだと書かれていたと思う。
私が40代の頃で、海外ビジネスのために英語の学習に没頭していた時期だけに、複雑な読後感が残った。
もちろん、著者の藤原氏の見識と日本への想いにとても感動したし共感もした。そして、品格と言う言葉もこの本がきっかけで、私も多用するようになった。
ただ、この時は、国語の学ぶことの重要性は感じてはいたが、自分のその時の行動と重ねてピンと来ていたわけではなかった。
漢字について、私がずっと問題意識を持っていることがある。それは、漢字による先入観だ。
もちろん、外国語も母国語の人にとっては同じなのかもしれないが、どうしても、偏見や誤解、ネガティブな印象を連想してしまう漢字も多い。
例えば、障害者、外国人、精神的、管理、消費などなど。
時代が進化する中で、未解明だったことが分かるようになり、科学的に立証されることも増えてきた。そしてグローバルに情報が流通することで、格差や偏見が明るみになる。ある意味、オープンになっていく、見える化されていく。
一つずつ書くときりがないが、例えば、“精神”という言葉には、精神病院や精神論などの言葉から私達が受ける印象と言うのがすでにある。
しかし、これをメンタルと読み替えるだけで、感じ方が変わる。
一度、マンネリ化した人間の脳をだます必要があると思う。
こんな風に一つずつ考えていくと、それこそ、漢字を小学校からやりなおさないといけないが、漢字一つずつの由来、成り立ち、本来の意味などにもっと関心を持っていようと思っている。
以上