[本文引用]
私が最近、好んで頻繁に使う漢字がある。
それは、“知”である。
知と聞くと、英語に精通している人は、インテリジェンス(Intelligence)を浮かべる人が多いかもしれないが、私の思っているニュアンスはちょっと違う。
インテリジェンスと言えば、どこかエリート感があって、上から目線に感じる人も多いのではないか?インテリという言い方が使われることもあるが、あまり良い意味ではないと思う。
私のイメージしているのは、やはり、日本人としてのインテリジェンス。まだ、上手に表現できないが、生活の現場やアナログをベースにした知恵なども私のイメージの知のど真ん中に含まれると思っている。それは人間らしさであり、日本人らしさである。
私が知を含んだ言葉でよく使っているのが以下だ。
知をつなぎ知がつながるBナビオン(ブレインナビオン)。
知的健康経営、知的健康生活、知的資産の活用、知的産業創造など。
そして、知の統合化と大衆化である。
今、人が何かを学ぼう、知ろうとしたときに、例えば、大学の先生のように学びに精通している人にとっては、あまり苦にならないかもしれないが、あまりにも膨大な情報や資料が溢れている。
また、様々な専門分野の細分化か進みかつ探求や解明は進化している。
例えば、健康生活を考える時に、何か自分の体に不具合があるとすると、私の子供の頃であれば、家族に聞くかどこの家にも一冊あった家庭の医学の本を見るぐらいしかなかった。
あとは、医者に行くだけの事である。
まあ、昔の田舎では、よっぽどの事でない限り、医者にはいかなかったものだ・・・が。
今、医療の事を考えてみると、ネットで大抵の病気の症状や対策などは検索できるし、根気よくやれば、医者並みの判断はできるように思う。もちろん、それで治療できるわけではないが・・。
私も時々、体の不具合の時に調べてみたりするが、やっぱり、それはITに精通しているか、よっぽどネットが好きかであれば、何とか自分の欲しいものは見つけれるようには思う。
こんな時代には、正しいこと、自分に必要なことを見つけるのは大変な時代だ。
探そうと思えば見つかる状態にあるので、気になりだしたら、どうやって探せるのかがどんどん気になって行く。だからこそ、人の存在が重要になってくる。信頼できる人に目利きしてもらうのが一番穏やかで安心感がある。
本を読むということも知的な生活や仕事につながっていく。
逆に言うと、本を読まない人で知的な人はあまり見かけたことがない。それだけ本は知の宝庫である。最近、出版される本が激増しいるのではなく、昔であれば見つけることが出来なかった本を見つけやすい時代になったのは大きな変化である。
私は、今でも時々、東京でもちよっとした下町風の街の小さな本屋に入るのは好きである。なんとなく落ち着くし、ちよっと秘密の基地みたいな子供時代を思い出せる場所である。
ものの数分もいらないが、ざっと、陳列してある本を眺めるのが結構気に入っている。この本屋さんの経営者が目利きしたものだとすぐに分かる。
一方、今は大型書店が流行った時代はとっくにや過ぎて、本は、ネットで買える。中古本まで買えるので、この範囲であれば、探索できる本は膨大である。もちろん、扱っていない本まで想いを馳せると、この巨大な知の宝庫、書籍と言うデーターベースに最近、ますます、関心が膨らんできた。一生で読める本が私の場合で、頑張っても一万冊には到底届かないだろう。
しかし、世の中にはきっと数百万、数千万の本があると想像するだけで、なんともいえない、人間の行いのすごさと営みの歴史に感心する。
改めて人間は知的活動を好む動物なんだと実感する。
今は、限りなくこういう過去からの書籍もオンラインで読める時代になりそうな勢いだ。
知の統合化というのは、この小さな本屋のイメージである。
知の大衆化というのは、こういう本屋の存在を知っていて、時々そこを訪れる事である。
ITの話をすると、ビジネス色が強くなるが、今や、一般の生活者にとってもITは必需品になってきた。そういう意味では、生活者にとってもITに関する知識や技術などの知の統合化と大衆化が必要であると思っている。
専門家が行うビジネスを離れて、ITという知を統合化する役割が求められていると思う。
実は、知の統合化と大衆化というのは、世の中にあるあらゆる知に関係する。
特に日本は歴史の長い国であり、本当に奥が深いし日本人が知らない日本が埋蔵されている。こういう知の統合化と大衆化にも取り組んでいこうと思っている。
以上