[本文引用]
組織のマネジメントぐらいゴールのないものは無い。
私の場合は、法律に定められた会社という組織のマネジメントの経験が主だ。
もっとも会社を興すまでは、会社員時代、数年間は、部下のマネジメントをした経験はあるるが、やはり、代表取締役となって、雇用責任を負うとマネジメントの重みは断然違う。
とはいえ、そういう立場を30年近くやっていると、慣れと言うものは恐ろしいもので、背負っている責任によるプレッシャーは薄れてくる。
多分、今だったら、急に、他の企業の組織のトップをやりなさいと言われたら、相当なプレッシャーになるだろう。例えそれが、代表取締役としてではなく、数十人の部隊を任せられる部長だとしても。
要は、そういう責任者として、結果を出せるかどうかのプレッシャーを感じると思う。
元に戻って言うと、創業者として30年ぐらいやっていると、創業当時から働いている人も数人いたり、新卒で入社して役員をしていたり、もちろん、色々な理由で退職者がいたり、当たり前のように中途入社がいたり。新陳代謝と言えば聞こえは良いが、想像を超えるような大変なことの繰り返しである。
ただ、組織を継続しているとリクルート社で有名な組織遺伝子はできているように思う。
人は入れ替わっても、組織として大事なことは伝承される。
私の場合では、私が去っても今の会社の組織遺伝子が伝承されるかどうかだ。
この話は、創業時から意識してきたし、ある程度の下地はあると思う。
一方で、私が未だに行っている経営者の役割としてのマネジメントがある。これはプロジェクトマネジメントの概念も少しは含まれるが、私のマネジメントは経営者として、組織を円滑に動かす役割である。
マネジメントにはいろいなタイプがある。代表的には一つは軍隊的な組織。もう一つが、オーケストラの指揮者のような調和をリードする役割。私が目指したいのは後者だが、なかなか、この実現は難しい。
今、働き方がコロナ禍で揺れている。成果主義や実力主義が見直されているようである。
テレワーク、在宅勤務、ワーケーションと手を変え品を変え新しい働き方を模索している感じだ。
私は、自分の経験からして、20代の少しの期間だけ部下のマネジメントをしながら、上司からマネジメントを受けていた。ただ、創業してからは、私は上司からマネジメントを受けていない。そもそも、私の上司はいない。
そんな立場を30年近くやってみて、これから先に、私がもう一度、誰からのマネジメントを受けることが将来あるだろうかと考えてみたりする。
実際、この先は分からないが、60代の良い頃合いに、馬の合う経営者が何人か集まって、自分たちのマネジメントはセルフで行う企業活動にチャレンジしてみようと思う。
それぞれが責任と役割を自覚して、達成することに対してコミットメントする。結果とプロセスに対しては、相互評価で公平にかつハイレベルで評価する。そして、お互いの報酬が決定する。
もちろん、運、不運は仕事にはつきものだが、そういうことも含めて、自己責任で仕事できる人が集まった会社であれば、マネジメントは必要ないと思う。
こんなことを将来の目標に置きながらも、今、自分が行っている事業活動の中で、自己責任のみで成立して、マネジメントが必要のない組織運営にチャレンジしてみたい気持ちが結構ある。
以上