[本文引用]
久しぶりに、少し高いハードルにチャレンジした1年だった。
仕事という部分も無くはないが、それよりも自分を試してみようと思う気持ちが一番だったように思う。
途中で何度かブログを続けている心境を書いてみたが、やはり私にとってのこの365日は長かった。
だからそれなりに達成感はある。
世界の世の中の人と同じように一市民として、人類の一人としてこのコロナ禍とこれが原因の混沌とした時期を過ごしてきた。まだ、この先どうなるかは予想できないことも多々あるが、私になりに学んだことや気づきも沢山あった。
そして、この約1年で、自分の過去や起業してからの経験、人生で知り合った方々とのつながり、そして、今もその方々と何かビジネスを一緒にしているという意味と役割を何度も反芻した。
こういうことを考える毎日だったように思う。その日々から生まれたブログ。記録しておきたいこと、言っておきたいこと、伝えたいことが沢山浮かんだ。もっとも、伝えたいとっても、必ずしも誰かを想定して書いたわけでもないが。
いずれ多言語化が自動的に行われるようになれば、記録の時代が進み、100年後、1000年後に世界の誰かに伝わるかもしれない。私は結構本気でそれを想定して毎日書き続けることにした。
そして、第一の目標設定に到達した。
昨年の6月14日から初めて365日回目のブログが今日である。
結論からいうと、このブログはまだしばらく続けていくことにした。
いつ決めたのかといえば、正確には分からないが、書いている毎日の中、やめる理由がなくなってしまったという感覚だ。
コロナ禍の平穏ではない時期に会社経営をしながらなので、世間から見ると、よくブログ書くよねというのが一般的な見方だと思う。実際何度か言われた。
しかし、できそうにないことをチャレンジすることは私の本分だと思っている。
このブログはそこまで大袈裟な話ではないが、やはり、継続は力なりというように、どれだけ毎日コツコツと継続することが大切かを再認識するための行為だったようにも思う。
実際に短期的なメリットも幾つかあった。
多少は文章を書くコツがつかめた。書き方の本も何冊か読んだ。時々ラフにまとめている。いつしか、こういうのが種になって、書き方の本が将来書ければ、国語が苦手だった私にしては、上出来かもしれない。
ただ、昔の我流の悪い癖はなかなか抜けきらないのも今の悩みである。おそらく数年間書き続けたら、書き方の腕前も上達するだろうと感じる日々である。
予期せぬことも幾つかあった。
発信していると、きっと誰かがどこかで読んでいただいているという感覚はある。20年ほど前に日経BP社の月刊誌やWebサイトに寄稿や連載した経験を体が覚えている。誰かがどこかで読んでいて、その中の誰かからふと連絡をいただけたりする。また、どこかでたまたま出会った時に、10年前コラム見ましたとか、ファンでしたということが時々あるだけでも書いて良かったと思うものである。
いまは、時代も変わりSNSでシェアもできるし気軽にコメントも返せる。だから、昔のような一期一会のような趣や感動は減ったかもしれないが、やはり、自分が書いたコンテンツで誰かとつながることは、とてもワククワする。
そいう中での一番の反響がある。以前のブログでも書いたが、私の愛読書の一つでもある週刊現代から中島みゆきの糸という歌をテーマに書いたブログをきっかけに取材依頼が来たことである。
中島みゆきの“ファイト”の特集記事に載せていただいた。これは全くの予想外の展開だった。
あとブログを書いて生まれた副産物は結構沢山ある。字数にすると約50万文字。
人間でも出来ることではあるが、近いうちにAI君に頼んで、色々とコンテンツを醸成するネタにできると考えている。
あとは、以前から考えている経営判断のAI化のリソースには十分なる。
もちろん、ブログとしてオープンにしたコンテンツの裏側というのが存在する。それは、その日々の経営の仕事に関する記録だ。スケジュールや活動の社内に残っている記録だが、それと併せて
AI君に任せれば、この危機管理化における経営判断の何かヒントになることが生み出せるのではと考えている。
そんな訳で、明日からもブログは続けていきますので、これからもお付き合い頂けたら幸いです。
以上