[本文引用]
運命を信じるか?
運命は決まっているか?
運命は変えられるか?
こういう話題は、今は日常会話になったような気がする。私が学生時代ぐらい前は、運命の話をするような人はちょっと変わった人という印象があった。その日暮らしの私は、こういう話には全く無関心だった。昔のことも先のことも考えていなかったからだ。
今は運命や必然などのキーワードをテーマにした書籍や記事は欠かさずチェックする。特にこの一年、関連の本も積極的に読んだし、面白そうな記事にはできるだけ目を通した。私の運命についての考えは、感覚的には収れんしてきている。
まず、そもそも、運命とは何かである。
私の感覚では、運命を積極的に語る人というのは、そもそも人間の一生は決まっている、出会う人も決まっている、幸か不幸かも決まっている、何事も決まっていると考える人が多いと思う。
ただ、これも2種類に分かれる。運命は決まっているから、肯定的に生きる人と、否定的に生きる人に分かれるように思う。特に後者は、運命は変えられないのだからと悲観的な発想に陥る。
運命は、済んだことと、これからの未来ことの2つにも分けられる。
済んだことは、絶対に変えられないとする考えが常識的だ。そうすると済んだことを運命とすると絶対に変わらないということになる。だから、運命は決まっているという考えは根拠があるように思える。
ただ一般的なたわいのない会話では、過去の事を運命云々いうよりも、自分のこの先、未来の事に対して運命がどうなるかを気にすることが多い。
これからのことを、運命は決まっているから、自分が何か意識して努力しても変えられないと悲観的に考える人にとっては、未来の運命は変えられないとなる。一方で、未来の運命は自らの意志で変えらると思っていてポジティブに生きる人もいる。
こういうことをあれこれ書いていると、きっと、皆さんに言われそうだ。
じゃあ、近藤はどう考えているのか?
運命について、興味を持つようになったは、社会人になってからだ。その後、起業してからは特に話題にする機会は増えたし、聞かれることもある。こういう時、セットで話題になるのが、運の話だ。運命の話とはニュアンスは違うが、運が良いと思うか、悪いと思うかだ。
以下、運命についての私の考えを述べたいと思う。
私は、30代前半の時、偶然の必然というネタでビジネス誌に掲載されたことがある。
人生には偶然はつきものだけど、起こったこと、済んだことは、必然と考えるという考えだ。
この頃は口ぐせのように使っていた。
余りにも当たり前すぎる話だが、起こったことのほとんどは、自業自得、因果応報。原因は自分にあるのだから、過去は失敗や嘆きたくなることであっても、それをしっかりと反省し、未来に活かす。根底はそんな考えだった。
今にして思えば、若気の至りだと思うぐらい、甘かったと思う。それは、その後の尋常じゃない失敗の数々を振り返ると、全く、偶然の必然と言っていた割には、その偶然の必然を活かしていなかったと思う。
私はいま改めて、この偶然の必然を実践できるようになろうと思っている。日々、一生懸命に生きる。失敗もするだろう。停滞もするだろう。しかし、それは成長への必然である。だから、反省をしてそれを糧に努力して次に進む。
これを運命に当てはめると、未来は変えられるが、過去は変えられないとなるのが自然だ。
未来を決めるのは自分の今からの行動次第。
今からの行動は過去の反省にかかっているので、過去の運命を活かすか殺すかも自分次第である。そういう意味では、過去も変えられるのである。
以上