[本文引用]
アフリカに行って、子どもたちと接した時のピュアな感覚は、いつまでも心に残っている。
私はこの数年で、10回近くアフリカを訪れた。
現地法人があるルワンダが一番多いが、あとは、ウガンダ、ケニア、エチオピアだ。
できるだけ早く、54か国全てに行きたい気持ちが強いが、この1年はお預けである。
新興国のどこに行っても、感じることは多様で沢山ある。日本の昔とオーバーラップする懐かしさがあったり、その地域や環境独特の生活様式があったり、刺激的であり感動的であり、とにかく気持ちが洗われる感覚がある。
特に、アフリカで出会った子供たちの印象は強いものがある。
一言でいえば、無邪気である。子供はどこの国でも昔も今もそうだとは思うが、特にアフリカの子供たちは一生懸命に生きていると感じる。
実際、子どもの時に人生が終わってしまうことも多い環境だ。食料の問題や衛生面で考えても、本当に私たちの先進国に比べたら、劣悪で、何とかしてあげたいという気持ちも自然と湧いてくる。
実際、井戸から水を汲み運んでいる様子などは、本当に表現のしようのない気持ちになる。見方を考えれば、労働をしている訳である。もちろん、本人たちは、労働ではなくて生活している。もっと言えば、生きているのだろうと思う。
私の始めてのアフリカはウガンダだった。
その時に何気に撮らしてもらった写真がこれだ。
彼女らを見る自分の意識と反対に、彼女らから見たら私は一体どういう人として思われているのだろうか?
この写真を見る度に、そういうことを思い返している。
こちらは、2回目のウガンダで、学校に行けない子供たちを集めて、ボランティアで勉強を教えている古い木材で作った学校を訪問した時の写真。
こちらは、2回目のウガンダで、学校に行けない子供たちを集めて、ボランティアで勉強を教えている古い木材で作った学校を訪問した時の写真。
この時は、日本で一緒に活動しているシニアの方と女性と一緒におじゃました。皆さん、異口同音に何かサポートしてあげたいね。とおっしゃる。
そう、アフリカで見る子供たちをかわいい、愛らしいと思う気持ちに加えて、やっぱり何とかしてあげたいのだ。
こんな無邪気な子供たちは、生まれる場所を選んでいる訳ではない。しかし、私たちの国と比べてしまう自分たちも何とも言えないが、やっぱり環境の格差は相当大きいのである。
だからこそ、ことさら無邪気にピュアな印象が強くなるのかもしれない。
こちらの写真は、ルワンダの地方の街での子供たちの風景だ。
この彼らの遊びは、日本の昔のような遊び方に近いものがあった。この時に日本の仲間たちは、とてもなつかしい感覚に浸っていた。
シンプルに言えば、これらは私たちが今の日本の日常では体験できることではない。
しかし、戦後の荒廃の時期を経験した日本人からすると、今の日本の復興ぶりは想像を超えた信じられない変化だと思う。
アフリカの事情はまた違う背景があるにしても、この子供たちが大人になる頃。このアフリカかどう変化するのだろうか?
興味本位ではなく、何か一つでもこの子供たちに役立つことを始めようと思っている。
一つ、オンラインによって、学ぶ機会を創造していくことも計画している。
それ以外にも、同じ地球の一員として、先進国が出来る事は沢山あると思う。
以上