[本文引用]
人生は年輪のごとく。
多くの先達が人生を年輪に例える。
森林にある大木の樹齢を聞いて驚くことがある。
樹齢1000年。とてつもない時間だ。
だから、多くの日本人はこういう大木に神が宿ると考える。私もこういう感覚が分かるようになってきた。
人間を年輪に例えるのはとても分かり易い。人間も樹木も太陽系の中の地球上に存在する。季節変動と共に人間も樹木もその環境から様々な影響を受ける。自然から受ける影響はとてつもなく大きい。加えて人間の場合は、日々の生活環境が成長に影響する。
私は竹に例えるのが好きだが、竹は節があり、厳しい風雪にもしなって耐える。
人間として強い人を竹のようなしなやかにという言い方も好きだ。竹は生まれたばかりの頃は、筍として食されるようにとても柔らかい。
それが竹の節を作りながら強くなっている。
人が成長するためには努力が必要なことはだれも否定しないと思う。
ただ、最近の傾向として、若者受けを狙って、楽をして成功する、楽をして生きることを勧める人もいて、そういう人の話が若者受けする時代でもある。
私が生まれてからの数十年間を見ても、今の70歳代ぐらい方の子供の頃の体験と、今の20歳以下ぐらいの体験では、同じ国と思えない。
もちろん、江戸時代ももっと以前も、様々な変化があったと思うが、たった数十年で普通の農業主体の国が、世界をリードする先進国に駆け上がったスピードというのは、過去も未来も歴史上語られるのではないかと思うぐらい、劇的な変化だ。
そういう中で、子供が育つ環境や、様々な教育のあり方が変わってきたと思う。
今は、厳しいことを言う人が避けられる時代、困難な事をできるだけ遠ざける時代、先ほども書いたが、できるだけ、楽をしてどう生きるかに関心が強い時代。
もっとも、これだけ豊かな国であれば、そういう感覚も頷ける部分はある。私も、昔の人と今の若い人の中間ぐらいにいて、なんとなく両方の気持ちも変わる。
私は、子供の頃、親がとても厳しかった。ただ、この世代で都会暮らしの人はともかく、田舎育ちの人は、たいてい同じような経験者だ。私よりさらに上の方になると、成人して以降も厳しい環境で生きてきている。
私なんかは、せいぜい生活環境が厳しかったのは、中学生ぐらいまでである。大学で神戸に出てきては、本当に、ノー天気な学生をしていた。
それだけその時の恵まれた日本の環境に甘えていたのだろうと思う。
今の若い人たちは、私の世代が育てたようなものだ。だから、自分が厳しい環境で育ったので、自分の子供には優しくしよう、苦労させないようにしよう、叱ったり怒ったりするのを減らそうという傾向が強い。
イクメンブームとは基本的には違うが、イクメンの印象も厳しく育てるということではない。
もちろん、自分たちの育った環境以上に躾や教育を徹底している人もいるが、今は少数だ。
こんな変化を自分自身も感じながらも、やはり、人間は、樹木や竹と同じように、風雪や試練を数多越えてこそ、強くなることは疑う余地はない。
しかし、日々、そういうことにチャレンジできる環境は減っている。
スポーツの世界でも厳しいトレーニングの是非が議論されだした。暴力は論外としても、やはり、厳しく心身ともに鍛えることは、本人が望むのであれば、必要な環境だと思う。
私自身も様々な壁やハードルにあたってきた。もちろん、不可抗力のものもあるが、ほとんどが自業自得である。
壁にあたったり失敗したりする度に思う。やはり、未熟だからそういう結果になる。大事なとこは、そういう体験の中から学ぶ、教訓にする。
そうすると、失敗経験が自信にもなる。だれしも順風満帆な人生を望みたい。だが、現実は、ずっと順風満帆な人はまずいない。だから、自分の歩みを振り返って、それなりの壁やハードルにあたってきた経験、つまり、場数と言うのは大きな自信になるのである。
だから、時々、成功体験も大事だが、記憶に残る失敗を振り替えることも意味があると思う。
以上