[本文引用]
ITにしてもAIにしても、その進化のスピードは常に想像を超える。
私が働きだして約36年。ずっと、何らかでITに関わってきた。
汎用コンピュータでの運用の仕事が私のコンピュータとの関わりの始まりだった。
ムーアの法則の話すら最近はあまり耳にしなくなった。そして、今は量子コンピュータの実用化の時代だ。
人間は進化の過程で、様々な科学技術を発展させてきたが、このITほど、社会的、経済的なインパクトが強いものは無いのではないかと思う。
一言で仮に言うならば、
“つなげる”と“記録”だ。
人間が遠いところにいるもの同士がつながる。江戸時代の人が遭遇したら一体どういう反応をするだろうか?飛脚の時代から新幹線や飛行機にしても想像を遥かに越えているかもしれないが、移動という概念は理解できると思う。ところが、オンラインでつながるというのは、理解不可能なのではと思う。
もう一つは、記録だ。こちらについては、江戸時代でも手書きで記録することは出来た。
しかし、今や、どこで誰が何のために記録しているかを把握しようにもしようのないぐらい様々な情報の記録が進行している。
私は、これを“記録の世紀”と名付けている。これは例えば、1000年後、その時の人たちが、今の時代を振り返ったら、膨大な記録から私たちのこの時代の生活様式、ビジネス活動、気象情報、人の移動、大衆の考えていたこと・・あらゆるものが検索・閲覧できる可能性すらある。
しかし、膨大過ぎて、一人の人間が一生かけたぐらいでは、ほんの一握りも把握しようがないだろう。
数年前、AIのインパクトは確かにすごかった。
しかし、それはメディアやIT業界の喧伝による影響が大きかった。
今は、DXブーム。その時々の表現は色々と変化するが、シンプルに書くと、ITという科学技術が人間の生活様式や経済活動を大きく変えているのは間違いない。
第三次AIブームが始まった数年前、まことしやかに、AIに奪われる仕事が話題になった。そういう類の書籍も数多く見かけた。しかし、これはそもそも、近視眼的すぎる考えである。
仕事は常に時代の進化と共に消えていき、そして新しい仕事が生まれていく。
人類誕生以来ずっとそうだ。本質的に何が起こっているかと言えば、変化のスピードが速くなっている。特に現代はそれが超加速度的であるということである。
私の考えは、記録できることは全て記録する方が、これからは人間が楽になると思う。
そもそも、記憶力でITと勝負しても意味がない。勝ち目はない。
記憶と言うと、情報ということになるが、知識と知恵という使い分けをすることも多い。
知識は記録する時代にすでになっているというのは多くの人が実感していると思う。
一つの分かりやすい事例を挙げれば、ネット検索だ。玉石混交はあるにしても、たいていのことはネット検索でできる。それは知識の話だ。
では知恵はどうか?知恵の共有ができるとかという事に関しては、記録すれば苦も無く出来る。だから、知恵もITで置き換えることはできる。ただし人間の脳の構造はとても複雑だし奥が深い。知恵の定義によっても意味合いは変わってくる。
最近、脳科学の分野で研究テーマになっているのが、心の研究である。流石に心まで、ITで代用できるとは思わないが、知恵はITで相当カバーできると思う。必然的には、今より発達したAIが必要にはなるが。
では、人間しかできないものは何か?
それは、志を持つことだと思う。
社会に貢献する。健全な地球を知り戻すために活動する。日本の高齢化問題を解決の一助を担う。無駄な消費をしない。挙げだしたらきりがない。志は大小でもなく、目的意識の高さと人間の良心である。これは人間にしかできないことである。
以上