[本文引用]
若者、バカ者、よそ者が地方を変える。
この表現を使う人は意外と多い。
地方は閉塞的で保守的である。日本だけでなくどこの国でも同じだ。
やはり、地方の特徴として、村や町の外との交流は都会に比べて少ないし、どこの町や村も土着の住民で構成されているのが基本だ。
私も、子供の頃は、街灯もないようなド田舎で育ったのでよく分かる。
いわゆる村社会だったし、実際、村八分が行われていたこともあると思う。
そういう感覚からすると、その地方に縁もゆかりもない人が、中に入って変えるには骨が折れる。
“若者、バカ者、よそ者 イノベーションは彼らから始まる” という真壁昭雄氏の著書がある。地方の改革はなかなか難しいがゆえに、専門家がこのように語ることには説得力はある。
若者と言うのは、熟年に比べて知恵や経験は足らないかもしれないが、行動力がある。突破力もあるだろう。
バカ者と言うのは、"そんなバカな話"に期待しての事だろう。いわゆる田舎の常識は、外から見たら非常識。ここにバカ者が突拍子もない言動すれば、確かにインパクトがある。
よそ者というのは、外部からの目と私は考える。
ジョハリの窓の、自分が知らなくて、他人が知っている自分の話だ。
私も、地方の活性化や地方の新興国進出に長年関わってきたので、若者、バカ者、よそ者の話は理解できる。
ただ、果たしてそれで変わりうるかと言えば、可能性は否定しないが、やはり、しんどいと思う。
今の若者には期待したいが、全面的には難しい。困難にもめげずに前進する力、継続する力の面で弱い。地方の現実はシニアが中心のコミュニティだ。今の若者は普段からシニアと接する機会が減少している。なかなか、コミュニケーションは大変だ。
そして、今は、第一次産業やサービス業中心に新興国からの技能研修生などが増えている。
もちろん、永住する人は少ないとしても、少なくとも数年は地方に住まうことも多い。
多文化共生の世界だ。
今は、明らかに日本は多様なのである。
都会はもともと、あちこちから人が集まってきている。そういう意味では、地方の多文化が集まった場所だ。外国人がいても自然と多文化共生社会は進行する。
一方、地方はそうはいかない。それぞれで垣根ができる。今は、シニアと外国人の接点もなかなか難しい。今の若者が外国人と自然と接することが出来るかと言えば、留学体験でもない限りハードルは高い。
私はかねてから、地方の主役はハイエイジの女性であろう思っている。
これは、ライフカルチャーセンターの澤登信子さんのお考えに共感して、私も今は確信に至っている。地方の価値とは文化伝統であり、生活の知恵がベースにある。そういう生活を支えてきたのは、たいていは女性である。
人生100年時代を迎える中、お元気なハイエイジの女性はますます増える。
今の地方にイノベーションという大げさなものではなくても、昔からの良さを守りつつ発展させる。閉塞的なコミュニティを多文化共生で開放する。その要にはハイエイジの女性の役割は欠かせないと思う。
以上