[本文引用]
何でも言えばよいという問題ではない。
何でも書けばよいという問題でもない。
日本人は、面と向かって相手に対して批判や文句を言える人は少ない。
特に、日本人は本音と建て前を阿吽の呼吸で使い分けてきた国民なので、直接、はっきりと言える人は少ない。
人間には誰しも本音がある。
その本音を全部、オープンにしていたら人間関係は成り立たない。
時には我慢していることもある。特定の人だけ、しかも絶対に信頼できる人だけに打ち明ける秘密もあれば、時として悪口もある。
それが人間らしさだと思う。
人間、心の中で何を考えるか、思うかは自由だ。
とはいえ、根本は良心の問題だと思う。
この夏の東京オリンピックでは、にわかに信じがたいことが、ネット上で発生した。純粋に頑張っている努力している選手を、ネットで誹謗中傷する事件が多発した。
今は、発信者を特定できるという点では、昔とは大きく変わった。行き過ぎは法律が守る時代になりつつある。こういうことがきっかけで、ネットの正しい使い方やネットリテラシーが向上して欲しいと切に願う。
最近のネットの誹謗中傷が頻発する原因として、普段の社会で抑圧されているからという意見の人もいる。私は、率直に反対の意見だ。
私の子供の頃は、理不尽なことは多かった。正論でもなく、良い悪いでもなく、親のいう事は絶対であったり、学校も厳しかった。そして、世間の目があった。
こういうことが無くなってきた現代において、一般的には躾や道徳が身についていないと私は思う。我慢もできない人が増えた。もちろん、人間だから悪口を言うのは本質的な性だ。
悪口を言わない人徳者もいるが、それは少数だ。
はけ口が無くなったから、ネットで発散では短絡的すぎる。リスクも多い。
ネットは、面と向かって言う必要がなく、書くだけなので、とても心理的ハードルが低い。
この傾向は、ある意味、弱い者いじめを助長する土壌があるとも言える。
もう一度、繰り返すが、
何でも言うよりも何でも書く方が楽だ。
当然、絶対的匿名であれば、書く人ももっと増えるだろう。
逆に、匿名では絶対書かない人もいる。わたしもこの部類だ。仕事柄でもあるが、私は自分の考えは、実名でしかださない。
今のネットやSNSは絶対的な匿名ではなくなった。原則、問題があれば、技術的に発信者は特定される時代だ。
それを知らずに誹謗中傷する人もいるだろう。
そういう意味では、早く、ネットの使い方やマナー、仕組みを教える必要がある。
世の中には、ネットであろうが、直接であろうが言いたいことを言う、実名でも書きたいことを書く人もいる。それは、IT全盛時代とは関係がない。
また、誹謗中傷は有名税だという意見もある。
しかし、基本的には、便所の落書きは便所の落書きであるべきで、拡散されるような状態にあってはならない。
今回の東京オリンピックの事件で改めて思うのは、ネットで好き買ってなことを書く人は、相手を選んでいないということなのか。対象は誰でも良いのか?節操のない時代になったものだ。
奥ゆかしかった日本人はどうなったのか?
健全な社会のためのIT利用であって欲しい。
以上