[本文引用]
日経新聞夕刊の記事に久しぶりに見入った。
10月15日金曜日の夕刊一面だ。
朝刊一面でないところが、微妙な扱いだが、私としては、朝刊扱いするべき記事だとは思う。
見出しは、“米主要SNS中国撤退”とある。
もちろん、IT関連の専門家でなければチンプンになる可能性が高い記事だ。
それでも、最近は、日経新聞などでもDXやAIにGAFAMなどが定番化しているので、数年前よりは、一般の人でも何だろう?と関心が向くのではないかと思う。
私は仕事柄も、企業や官公庁自治体の情報活用と情報セキュリティ関係のビジネスを20年以上しているので、どうしてもこういう記事の発信の意図と背景を推察したくなる。
シンプルにこの記事を解釈すると、米国発のSNSに対する規制が厳しくなり、ビジネスとして成立しないので、撤退とある。
中国はいままでも、ネットビジネス規制が結果的に外国からの参入障壁にもなって、自国の起業家の成長にも寄与したともある。
この辺りだけ読むと、確かにビジネスの記事だ。
実はこれに似たようなことは、日本人が一番使っているLINEでもあったことは記憶に新しいところだ。システムの運用の委託先が中国だったわけだ。
まあ、率直に、IT業界から見れば、いずれのことも氷山の一角であり、ITというのは、そもそも、見えないので、何が起こっているかは正確には判別することはとても困難だ。
よく製造業や建設業で三現主義が言われる。
現場、現物、現実。
さて、ITの世界での現場って?現物って?
では現実って何?
なかなか説明は難しい。
そもそも、ITは情報を扱うものと言っても正しいし、通信を行うものと言っても正しい。また、記録が永遠に残るものと言っても決して大げさではない。
まあ、きっと経済新聞なので、ビジネス的な側面から論調したのだと思う。
私は、ITというのは人類が発明した科学技術のなかでの最終テクノロジーだとは思っていない。
もし、そうなら、私はとても確率の低い千載一遇のチャンスにいると思うが、そうは思わない。普通に考えて、人類はこの先、想像もできないようなことを生み出すだろう。宇宙旅行をするかしないかの次元ではないと思う。
だから、過去と今だけの変化を頼りに、少しこの記事について、私の思うところを書こうと思う。
まずは、可能性としての話。
今現時点でも国は300近くに分かれている。
いままでの歴史を見れば明白だが、群雄割拠の繰り返しだ。国の数と領土の割り当てが最終形であるはずがない。だが、情報の社会は国境が全くないような振る舞いができる。
全ての国が情報統制やIT監視をしなければ、完全にITの仕組み上では国境をなくすことが出来る。だから、例えば、フィンテックなどが代表的だが、世の中全てのお金が電子になり、世界中にネット決済が張り巡らされたら・・・。どうなるだろうかは小学生でも分かる。
きっと、世界のほとんど人は幸せになる。
しかし、既得権益など特定の人は大損をする。もちろん、当該ITシステムがトラブルで動かなくなることがないという保証があればだが。
こんな風に一つの事例だけ考えても、世界は一つになるし、貧困のギャップも少なくなる。色々と良いことになりそうだ。
ただ、世界中の人がつながる可能性があり、だれともコミュニケーションが出来る時代になったとして、それで人は幸せなのだろうか?という永遠のテーマは残る。
なのに、なぜそういう方向には進まず、国で閉じていくのかである。
ネットは世界をつなぐことが出来るはずなのに、国境ではないにしても、国は閉じる方向である。
言い出したらキリのなくなる話だし専門的な分野でもあるので、簡潔に書くと。
日本は江戸時代には鎖国していた。限定的な港以外は基本的には海外と交流していない。飛行機はない。そして、ネットもない。だから、鎖国が出来た。
では、江戸時代に今、ネットがあったとして、鎖国ができるか?
きっと大変だろうと誰でも想像がつく。
見えない世界、気付かない世界のつながりをどうやって遮断するのか?
もちろん、テクノロジーで対策するのだが、これはすでにいたちごっこになっている。これを繰り返していくと、無駄なコストが膨らむだけである。
今、ITに囲まれた世界は、一見オープンでほとんどの国に行き来できる時代でありながら、ほとんどの国が自国を守るために、ネット上の鎖国を検討せざるを得ない。
これは日本も同じである。
だから、部分最適から抜け出せない。人類はこの試練や難題を乗り越えた時どうなるのだろうか?
仕事柄、他人ごとではないのだが、でも、私が一人で何かできる話でもない。
そんな中、情報セキュリティの常なる課題に関しては、仕事で貢献できるとは思う。
このあたりをまともに対応できないと、国の話ではなくても、個人レベルでの被害者が沢山出ると思うからである。
以上