[本文引用]
最近目につくことが多くなってきたVUCA。
SDGsやESGが流行りだしてまだ何年も経っていない。最近は、一般人でも知るようになったGAFAかGAFAM。
私が一つずつ解説しなくても、スマホでさっと検索すれば意味や使い方は分かる。
VUCAと書いて、ブーカと読むようだ。
そもそも、こういうのをブイユーシーエーと読んだとして誰かに怒られる筋合いはない。
しかし、こういう類のものは必ず、なんとなく読み方が一般化されている。
GAFA、あるいはGAFMにしてもそうだ。
多分、大抵の人はアルファベットで読むのが、長いかダサいと思っているのだろう。
私は読みやすければどちらでも良いと思う。
こんな前置きはこれぐらいにして、そもそもこのVUCAとは何か?10月29日の日経新聞の38面の広告ページを頼りに少し引用する。
VはVolatility、UはUncertainty、CはComplexity、AはAmbiguityである。
なかなか難しい英単語が並ぶ。中学校英語では登場しないような単語もある。
で、日本語で書けば、それぞれ、変動性、不確実性、複雑性、曖昧性である。
なんとなく、普通の日本人にも理解ができるようになる。余談で言えば、なんでも横文字を使えばよいと言うものではない。
こういうのは、そもそもバズワードを生み出す悪しき習慣であり巧妙なやり方だ。
改めて、今は、変動性、不確実性、複雑性、曖昧性の時代ということについて、私の考えを書いてみる。
私になりに言い換えれば、今は変化が激しく先行き不透明で情報が氾濫していることに起因する複雑さが助長されている時代と定義できようか。
ただ、それでも曖昧性というのは今一つピンとこない。
私はこの新聞広告に何か文句言いたいわけではない。すでに色んな書籍やビジネスの現場のブレゼンなどによく登場する、このブーカ(VUCA)であるが、この言葉の指す状態は今に始まったことでもない。
世の中の変化が加速度的に激しくなっていのは誰でも認めるところである。技術革新の変化が私たちの生活や仕事環境に影響を与えていく。
今までも見えなかったもの知らなかったものが、見えるようになる。ITがプラットフォームとして私たちの生活基盤の中に浸透してきたことで、余計なものも含めて大量の情報が溢れている。だから、現実よりも世の中が複雑に見える。
実際に、例えば日本の田舎でネットを遮断して、今まで通りテレビとラジオと新聞を頼りに、普通の暮らしをしていれば、年配者に限らず若者であったとしても、それほど世の中の複雑さが増しているとは思わないだろう。
一方で都市部に住んで、四六時中ネットにあふれていると、大抵の人は確かに複雑な世の中だと感じるだろう、そして疲れ果てる。
結局は、自分の選択の問題だと思う。
都会生活を意志をもって選択している人、つまり、例えば都会生活が好きで目まぐるしい情報と人付き合いに囲まれるのが好きな人はそれで良い。
ただ、そうでないのにやむなく都会に住みネットに触れるからそうなるのだ。これは一般の生活に限ったことではない。ビジネスも同じだ。
例えば日本は言うまでもなく、これからの世界で一番重要な一次産業に従事している人が、VUCAを感じることは稀だろう。
丹精を込めて良い野菜や果物を創り、生活者に提供する。これは何も変わっていないと思う。話は飛躍するが不確実なのは江戸時代の方だろう。
現代は、どんどん不確実は無くなっている。未知の解明も重なるから不確実に見えるが、例えば、このまま放置したら地球がどうなるかは確実にわかっている。不確実なのは人間のこれからの行動である。
まあ、独断と偏見でブーカに関する意見を書いたが、結局は自分次第だと思う。
曖昧性と言うのは、世の中が曖昧になっているのではなく、自分がブレるから曖昧になるのだと思う。
正解を探すのが人生ではなく、仮に間違えていても、確固たる信念を持ち、時には失敗をしながら前向きに前進する。そうしていれば、VUCAもGAFAもSDGsも何でも良いと思えるはずである。
以上